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映画『夜をぶっとばせ/BLOW THE NIGHT!』

 「80's少女たちのタイトロープ」







 僕が中学生時代をすごした1980年からの3年間は、まさに「校内暴力」と 「ツッパリ」の時代のど真ん中でした。リーゼント、ボンタン、エナメル靴という、どう考えてもローティーンには似合わないファッションでキメたオッサンく さい男子中学生が校舎を闊歩し、女子もチリチリのパーマにマスク、ペッタンコの手提げ鞄にズルズルのスカートで周囲を威圧しまくっていたわけです。

  メディアにおいては、横浜銀蠅の「ツッパリHighSchoolRock'n'Roll」(81年)がスマッシュヒットし、『土曜ナナハン学園危機一髪』 (80年)をはじめとして、『積み木くずし』(原作は82年、テレビドラマは82年、映画は83年)などの「校内・家庭内暴力」をテーマにした学園ドラマ が続々と放映され、市場では「なめ猫」グッズ(80年)などのツッパリ御用達商品がウソのように売れていました。

  こうした時代の空気は、70年代なかばから後半ごろにかけての「暴走族(カミナリ族)」ブームのなかで熟成され(東京では「ブラックエンペラー」と 「ジョーカーズ」の全盛期)、これが多少ソフィスティケイトされて一般中高生の間に伝播したものだったようです。また、こうした傾向は横浜銀蠅の登場あた りからメディアによって「社会現象」化され、というのはつまり「戯画」化され、徐々にリアリティを失いながらセルフパロディのような形で「ファンシー」に 吸収されていく、というプロセスをたどります。
 というか、そもそも「ファンシー」という美意識(?)と「ヤンキー」(当初、この名称は一般的ではありませんでしたが)の美意識は根 本においてはほぼ「同一」で、コインの表裏のようなものだったのですが、この「ヤンシー」(ヤンキー+ファンシー)という80年代的様式美については話が 長くなるのでまた今度……

 ここでぜひ紹介したいのは、曽根中生が1983年に撮った『夜をぶっとばせ/BLOW THE NIGHT!』という一本の映画なのです。
 実際に「札付き」の「不良少女」として数々の武勇伝を持つとされる高田奈美江を主演女優に起用した、という触れ込みの「不良少女映画」で、彼女の無軌道な中学校生活をドキュメンタリータッチで描いた作品です。
 残念ながらDVD化はされておらず、現在、市場に流通しているのは中古のVHSだけなのですが、公開当時は「今=80年代初頭」を鮮やかに切り取ったインディペンデントな映画として、それなりに話題になっていました。
 80 年前後の邦画界には、ほんの一時的ではありましたが、非常にアナーキーな風が吹き荒れていました。『夜をぶっとばせ』も、この時代を象徴する石井聰互の 『狂い咲きサンダーロード』とか、井筒和幸の『ガキ帝国』(と、いくつかのATG映画)、根岸芳太郎の『狂った果実』(と、藤田敏八以降のにっかつロマン ポルノ)などと同様、いわば「80年代型インディペンデント青春映画」の一本、という位置づけで評価されていたと思います。

 また、特にロックファンにとっては、デビュー時のストリート・スライダーズの演奏が「最良」の形で鮮烈に記録された作品……として印象に残っているはず。
  スライダーズの1st『スライダー・ジョイント』は、ほぼ『夜をぶっとばせ』のサントラといってもいい内容で、この映画では、未知のバンドだった彼らの 楽曲やライブシーン(撮影用のフェイクですが)がたっぷりと収録されています。極端にニューウェイヴ化した当時の日本のロックシーンにあって、ドラッグとセックスの匂いでむせかえるよ うな初期スライダーズの生々しさは、一部のロックリスナーに一種のセンセーションを巻き起こしました。

 先述した通り、メディアで描かれる「ツッパリ」は当時からすでに「戯画」になりがちだったのですが、特にいわゆる「スケバン」「不良少女」は、「不良少年」に比べてさらに都合よくデフォルメされることが多かったような気がします。
  もともと、いわゆる「スケバン映画」は70年代から大量に粗製乱造されてきました。たとえば、『女番長』『野良猫ロック』『ズベ公 番町』などのシリーズです。これらの作品は男性側の都合のよい妄想を反映した「異色アクションポルノ」のようなものが多く、いわば「やくざ映画」のポップなパロディとい う感じで見られていたのだと思います。もちろん、これらの映画が提示する「不良少女」像は80年代型「不良少女」とはだいぶ乖離しているのですが、そもそ も70年代に実在した「不良少女」たちとも思いっきり乖離していたわけで、根本的にファンタジー、当時の言葉で言えば「劇画調」だったわけです。

 80 年代以降の「スケバン」ものも、『積み木くずし』に代表される「少女の不良化」を「社会問題」として描く作品か、ドラマ版の『スケバン刑事』(85年)の 影響による「活劇」が大半を占めていました。どちらも、やはり男性視点による都合のよいファンタジーを反映した作品でしかなかったと思います(「社会問 題」としての「スケバン」映画やドラマは、一見リアリティを重視しているように見えながらも、視点はあくまで「男性的」で、「不良少女」たちを「現象」と して極度に抽象化しているため、彼女たちの実在感は極めて希薄でした)。

 「不良少年」たちの生態を描いた作品では、たとえば70年代で は藤田敏八の作品(『八月の濡れた砂』『一八歳、海へ』)、80年代以降では井筒和幸の作品(『ガキ帝国』『岸和田少年愚連隊』)など、時代を超えて今も 愛される傑作が多数ありますが、そうした意味では、「不良少女」「スケバン」を描く映画には、「決定版」といえるようなものはほとんど見当たらないような 気がします。

 80年代という「スケバン」全盛時代をリアルタイムで体感して、特に中3のときに後ろに座っていたKさんが「校内No.2」 の「札付き」で、彼女の一種異様な魅力(無気力で意地悪なのに、極端に公正で人懐っこい)にヤラレちゃって、なんとなく彼女たち一派と仲良くしていた身と しては、『夜をぶっとばせ』は、唯一、「あのころの不良少女」たち特有の「感じ」を生々しくフィルムに刻み込むことに成功している作品だと思います。
 これを名画座で見たときにはすでに高校生になっていましたが、Kさんたちの生態そのものを見るようで、変な気恥かしさすら感じたのを覚えています。

 『夜をぶっとばせ』は、不思議な構造を持つ映画です。
  ある種の二部構成になっていて、ひとつは群馬県(前橋付近)の「不良中学生」である高田奈美恵の日常を、1982年の冬、春、夏、秋、そしてまた冬と、約 1年間にわたって淡々と追っていくパート。もうひとつは、奈美恵とはまったく違ったタイプの東京の「不良少女」(いや、実は「まったく同じ」なのかも知れ ない)であるリカコ(可愛かずみ)の「1982年11月18日」における動向(その日の朝、地元の田園調布から渋谷・原宿へ出て、さらに夜の新宿をうろつ く、という内容)を追うパート。この二つのパートを交互に描き、しかも、奈美恵とリカコは作中ではいっさい出会うことがありません。

 二 つの「時間」は、ほぼ無関係に進行し、どちらのパートでも、事件らしきものはほとんどなにも起こりません。こういう映画は通常、「スケバン」グループ同士 の抗争か、少女たちと大人社会との軋轢をテーマにするものですが、まったくそうしたストーリーらしいストーリーを描かないまま、ただ淡々と二人の少女の日 常がつづられていきます。そして徐々に奈美江側の「時間」がリカコの「時間」に追いついていき、ある一点、「1982年11月19日未明」にピタッと重な る。この二つの「時間」が交差した瞬間に、何もない日常描写を切り裂くような一瞬の「凶事」が起こり、そこで映画はプツリと終わってしまいます。

 この映画を特別なものにしているのは、退屈スレスレの描写が延々と続くなかで、見る者の目を釘付けにしてしまう高田奈美江の不思議な空気感です。これこそが「80年代型不良少女」の「リアル」としか言いようのないものだと思います。
  おそらく、通常の脚本と呼べるものは存在しなかったのでしょう。シノプシスだけがあり、あとは役者たちのアドリブで撮影が進行していったのだと思います。 そうした手法によってのみ可能となったのが、あまりにも自然な「不良少女」としての奈美恵の表情・仕草・言葉のフィルムへの定着です。

 特にゾワゾワとさせてくれるのが、彼女の言葉づかい。
  メディアに登場するキャラ化された「スケバン」たちは、当時も今も、徹頭徹尾「硬派」で「好戦的」なしゃべり方をするものですが(「ざけんじゃねぇよ!」 的な)、奈美恵は「威嚇」の必要があるとき以外は、幼児のような、当時の言葉で言うならモロに「ぶりっ子」なセリフまわしで仲間とコミュニケートします。 「ナミエ、もう帰っちゃうからね、ふん!」「ウソ、ウソ、○○ちゃん、怒んないでよぉ!」みたいな言葉を、極端に舌っ足らずな発音で口にする。その一方 で、「攻撃」に出るときには瞬時にモードをチェンジし、「なに先公がガタガタ抜かしてんだよ、オラ! 調子クレてんじゃねぇえぞ、テメェッ!」とシャウト する。これはもう、当時の「不良少女」たちと身近に接していた者にとっては、「これこれ! これなんだよ!」ということになるんですね(笑)。

  特にわざと舌っ足らずにしゃべる「ぶりっ子」話法(今の耳で聞くとすっごく不自然でおもしろい!)は、当時の歌謡番組や、アイドルが務めるラジオの深夜放 送などを聞いてみると一目瞭然ですが、当時の「イケてる女の子」たちの「基本作法」で(この傾向は80年代後半のwinkあたりにまで引き継がれていま す)、メディアに登場するティーン女子たちはほとんどみんながこのしゃべり方をキッチリと身につけていました。
 今の価値観だと「ぶりっ子」と 「スケバン」は対極的なものに思えますが、当時、メディアに氾濫する「ぶりっ子」話法を積極的に導入していたのは、なぜかワルめの少女たちでした。優等生 的な子はもちろん、一般の非ツッパリの子たちは、むしろこれを遠ざける傾向があったと思います。つまり、「ぶりっ子」=「ワル」という見えないラインが存 在していたんです。当時の「不良少年」たちが、実は横浜銀蝿などよりも松田聖子などのベタな歌謡曲を積極的に聴いていた、ということとどこか似ているのか も知れません。このあたりにも「ヤンキー=ファンシー」の「ヤンシー」的美意識が垣間見えたりするわけですが、「ナミエ、もう怒っちゃうんだからね、プン プン!」みたいなしゃべり方をする子こそが、怒らせたら「マジでヤバい」(笑)。
 この当時ならではの「感じ」が記録されている80年代のリアルな映像作品は、ほかにはないような気がします。

  そしてもうひとつ、映画に特別な輝き(というか、特別な闇)を与えているのが、まだまだ無名の新人だった可愛かずみの存在です。彼女が演じるのは、地方都 市の「スケバン」である奈美恵とはまったく違った生活をしている、おそらく周囲からは「一見いい子」と見なされているような東京の中学生。セリフはほとん どありません。カメラはただ彼女の「a day in the life」、学校をさぼり、一人で無目的に都心をさまよう様子のみをひたすら追っていきます。
 渋谷付近の友人宅で制服から私服に着替える、マクドナルドでハンバーガーを買う、それを代々木公園付近の道端で食べる、歩道橋でタバコを吸う、歌舞伎町でナンパされる、それを無言でふりきって逃げる……。
  そんなたわいのないシーンの連続なのですが、なんというか、まだあどけない彼女の「やさぐれた美少女ぶり」もあいまって、見ているうちになぜか皮膚がヒリヒ リとしてくるようなスリルが画面に横溢します。少女がカミソリの上を目隠しして歩いているような、そんな危険な芸当を見せられているような気分になってく る。
 つまり、この映画の中での可愛かずみは、徹底して「危うい」。なにかしらの「惨劇」を誘発する禍々しさがあって、それは、確かにあのころの少女たちの誰もが共有していた「危うさ」だったのかも知れない……というような感慨を抱かされてしまいます。

 この映画は、期せずして、可愛かずみという「女優」が持っていた「宿命的」な「危うさ」を極めて正確に記録していた……と思ってしまうのは、すでに僕らが映画の外側で起こった「惨劇」を知っているからでしょうか?
  今、この映画をあらためて見ると、彼女には「生きていてほしかった」と心底思ってしまいます。残念ながら、メディアのなかに居場所をつくれなかった彼女の フィルモグラフィは豊かなものとは言えないかも知れませんが、間違いなく80年代初頭を体現する特別な魅力を持つ「ファム・ファタール」の一人だったと思 います。

 さらに「危うさ」といえば、この映画に終わりをもたらす存在である奈美江の妹、なつこ。非行化する姉を横目に、ごくごく普通に 生活している中学一年生の少女です。言葉少なに「ぶりっ子」話法で話す彼女は、ほとんど自分の意思を持たぬ「空っぽの存在」のように描かれ、いわば「ま るっきり子ども」として常にスクリーンの端っこに配置され続けます。
 この何を考えているのかよくわからない、極端に人見知りする13歳程度の 「子ども感」というのがヒシヒシとリアルなのですが、そんな彼女が後半、「自分の欲しいものは積極的に手に入れなければならないのだ by なつこ」と ノートに書き綴ります。いかにも馬鹿げた、いかにも子どもじみたこの「意思表明」によって、淡々と冷たく進行していた映画は突如、狂いはじめます。

  煮え切らない、本心を語らない、というより、本心が存在するのかどうかもわからないなつこの存在もまた、極めて「危うい」。その「危うさ」は、可愛かずみ の「危うさ」よりももう一段階「謎めいて」いて、さらにまずいことには、この映画を初めて目にしたときの僕ら世代には、「説明はできないけど瞬時に共感で きる」ような「なにか」でした。彼女の「気分」は、僕らの周囲の少女たちの多くが共有していたものだったと思います。あれが僕らの80年代的日常だった、 とさえ思います。

 なつこが「行動」を起こす直前、真昼間に布団に入って天井を見上げる表情をとらえるショットは、あるいはこの映画の「核」と言えるものかも知れません。
 この映画には、ありがちな「若者たちの社会への不満」とか「子どもたちによる欺瞞に満ちた大人たちへの逆襲」といったテーマがごっそり抜け落ちていて、少女たちの「無軌道」にはいっさいの理由が与えられていません。
 その代わりに挿入されるのが、なつこを演じる小松由佳の、あの怯えたような、あるいは怒っているような、あるいは夢見ているような、曖昧で可憐で子どもじみた表情なのだと思います。
  それはなにかしら、「自由」というものが完全に「確立」されてしまったような「幻想」を抱かせる特殊な時代=80年代初頭における子どもたち、特に少女た ち特有の顔つきだったのではないかと思います。「私はどうやら完全に自由だ。でも……」という、その「でも」の後に広がる真空の地帯。

 今、僕ら世代が80年代を回想するとき、それを「いい時代」あるいは「最低の時代」とするかはともかくとして、どうしてもバブルにつながる「お気楽」な一時期としてしまうことが多いような気がします。
 しかし、80〜83年あたりには、なぜか60年代的なアナーキズムに無理矢理に回帰するかのような、極めて「狂暴」な数年間が確かにあったことを、『夜をぶっとばせ』は思い出させてくれます。
 あの時代の少女たちは、誰もが無意識のうちに、なにか理由のわからない衝動から命懸けの「綱渡り」を演じていた。そして、少年だった僕たちは、確かにそれをドキドキしながら、かなりズルい「共犯者」の立場で眺めていた……。

 この時代の隙間の感覚は、どんなに言葉を重ねて説明しても、1980年に13歳から15歳だった人間にしか理解不能なものだと思います。

(2012.11.28)



体をハスに構えて顔だけ正面。これがツッパリたちの写真撮影時の定番ポーズ。しかし、こいつら、本当に中学生なのか?(笑)



当時の典型的なツッパリスタイル。男子はソリを入れたパーマをリーゼント風にキメて、女子は聖子ちゃんカットにさらにキツめのパーマをかけてワイルドにした感じ……。近づきたくないです。



映画はスライダーズの「マスターべーション」の演奏シーンで幕を開けます



当時のスライダーズは後年のストイックな感じとはちょっと違い、ギラギラでヌメヌメ。70年代前半のストーンズが持っていたエロティックな匂いに満ちていました。一発録りの荒削りなギターカッティングにハリーの投げやりなシャウトが絡みます



80年代型ズベ公ぶりを遺憾なく発揮する高田奈美恵。この時、彼女はもちろん演技未経験で、その後も一切メディアには登場していません




公開当時も話題になった「アンパントリップ」シーン。吸引の途中で袋をシャカシャカとシェイクする仕草や、「私、缶でやる」といったセリフなどがやたらとリアルでした(笑)




中学時代、僕らは何度もこういうシーンを教室で目にしましたが、なんともイヤ〜な気分になったものです。あれと同じ雰囲気ががスクリーンからムワリと立ちのぼる超リアルな「ヤキ入れ」場面……



もうひとつの「80年代少女のリアル」を体現する可愛かずみ。本作では、一貫してこのメランコリックな表情を崩さず、ほぼ無言のまま幽霊のように東京を徘徊し続けます……




一本残ったタバコをくわえ、空箱をパチンと指で弾いて歩道橋の上から捨てるこのシーン。「B級アイドル」的な扱いをされていた彼女が、まるでアンナ・カリーナのような強靭な「女優」であることを証明する見事なショット



奈美恵の妹、なつこを演じる小松由佳。「普通の子」だった彼女が、ある種の無意味で不条理な決断をするシーン。この後、映画はラストシーンに向かって一気に「暴走」をはじめます……






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