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“エアチェック”の時代とFM情報誌
「ラジオデイズ」

*関連トピック:ラジカセブーム




 1980年代の後半まで(J-WAVEが開局され た1988年まで、という言い方をしてもいいと思いますが)、AMラジオとFMラジオの「雰囲気」の差異は今よりもずっとずっと大きくて、まったく別種の メディアでした。ターゲットとなるリスナー層も完全に別れていたはず。この感じ、今の若い人にはなかなか伝わりづらいと思いますけど……。

 70年代に深夜放送ブームを巻き起こし、「受験生の友だ ち」として若者たちに受け入れられたAM放送は、80年 代に入ると時代遅れ感がうっすらと漂ったりもして、僕ら世代にはあまり縁のないメディアになっていたと思います(それでもビートたけしやとんねるずのオー ルナイトニッポン、「夜は友だち」のコサキンやスネークマンショーなどは一部の子に熱烈に支持されていましたが)。

 一方、1969年に本放送が開始されたFM(最初の開局は NHK)はメディアとしてもまだまだ若くて、当時、東 京で聞けるのはNHK FMとFM東京(現在のTOKYO FM)の2局のみ。ほぼ完全に音楽番組に特化された音楽ファンのためだけのメディアで、その内容も今にしても思えばかなり先鋭的。数字を取るというより、 「コアな音楽ファンが聞いてくれりゃいい」みたいなノリが支配していました。現在のテレビにたとえると、AMがバラエティ番組ばかりの地上波で、FMが ケーブルの音楽専門チャンネルみたいな感じ。

 で、当時の子どもたちは中学生になるころに洋楽に興味を持 つようになって、エアサプライがどうのとか、ジャー ニーがこうのとか、ポリスがどうしたとか、プリテンダーズがああしたとか、ついこの間までソフビ怪獣いじくってたヤツがナマイキなことを抜かすようになる わけで、そういう子が「青春!」の入り口でFMを聞きまくるようになる、というのは通過儀礼みたいなものだったんです。

 この「青春!」→「FMを聞く」という展開、今は完全にそ ういう価値観が消えちゃってるのでちょっと不可解に思 われるかも知れませんが、当時は明確に「FM文化」というものが存在していて、FM放送を聞くということが思春期にありがちな「ホビー」のように捉えられ ていました。

 少年たちを中心とした(機械としての)ラジオブームというのは60年代からあったのですが、70年代にステレオラジカセブームが巻き起こり、これが80 年代なかばにかけて「暴発」します。このあたりは書きはじめると長くなるので割愛しますが、ありとあらゆる機能を詰め込んだラジカセが各メーからドシドシ 発売され(「アホか」と思えるような極端なモデルも多数)、それを所有することが少年たちのステイタスになっていました。当時のティーンエイジャーたちに とって、「充実した青春を送るということは、より高性能なラジカセを所有することであった」と言っても過言ではないと思います……いや、やっぱりそれは ちょっと過言かもしれません。

 しかし、洋楽を聴き始めるようになった中学生が、ステレオ ラジカセとFM放送を媒介にして、ロックやポップスの 未知なる広い「海」に漕ぎ出すとき、ちょっと大人になった感じとか、知らなかった世界に触れる実感とか、そういう手ごたえを含めて、そこに「青春ぽさ」が あったのは確かで、ラジカセやミニコンポの広告には必ず「青春!」のイメージが採用されていました。

 で、当時の「FM文化」における「ホビー」としてのFM放 送の楽しみ方の真髄が、いわゆる「エアチェック」(これぞ死語)にありました。
 「エ アチェック」とは、主にFMで放送される音楽をカセットテープ(音質に応じ、ノーマル、クローム、メタルなどのグレードがありました)に録音すること。多 数の番組からお気に入りの曲をチョイスして自分だけのオリジナルテープを作成し、それをカセットラックにコレクションしていく。で、ときどき友だちやら彼 女やらに自慢げに聞かせたりして、自分の「感性」を恥ずかしげもなく開示する(笑)……という、無意味なうえにめんどくさくて、ときには迷惑だったりもす る作業にみんながウツツを抜かしていたわけです。

 財政上の問題もあって、そうそうレコードを購入しまくるわけにもいかない中学生などにとって、「エアチェック」は音楽を所有する手段としては最も重要な もので、みんな「本気!」で取り組んでいました。DJのトークを完全にカットし、きれいに音楽のみをテープに収めるためのボタン操作(録音スタンバイにし ておいて、一時停止ボタンでスタートとストップを制御する)とか、46分テープに効率よく音楽を収めていくための秒数計算(曲の途中でA面が終わったりす ると絶望に襲われます)とかに心血を注いだわけです。

 こういう「エアチェック」作業に不可欠なのが、当時は各出 版社からさまざまなスタイルのものが刊行されていた 「FM雑誌」です。アーティスト&音楽情報に1〜2週間分ほどのFM放送の番組表をセットにした情報誌で、もちろん主役は番組表。各番組でかかる楽曲が、 曲名、アーティスト名、さらには演奏時間まで詳細に表示されていて、これに赤ペンでチェックを入れながら「エアチェック」の作戦を立てるわけです。今考え ると「どんだけマニアなんだよ?」と思うかも知れませんが、いやいや、ぜんぜんマニアじゃなくて、これが本当に「普通」の音楽好きのティーンエイジャーの 日常だったんです。ホントです。

 ちなみに、これが当時の番組表(「週刊FM」1982年2月15日号より)。



こ のころ、土曜日のお昼から数時間がゴールデンタイムでした。パイオニア提供の「ハードタイムスへようこそ」→「コーセー歌謡ベスト10」→「ダイアトーン ポップスベスト10」→「サタデーアドベンチャー」→「ひとつぶの青春」(すべてFM東京)。この流れを堪能するために、学校からダッシュで帰ったもんで す


同 じく土曜日。夕方6時の「あなたとビートルズ」なんてのも聞いてたなぁ。あと、印象的なのが「成田フライトインフォメーション」(FM東京)!


木 曜日。僕がもっとも熱心に聴いてたのが「サウンドストリート」。木・金担当の渋谷陽一の信者でした。その後の「クロスオーバーイレブン」もすっごくFM的 な番組でしたね(NHK)


平 日夕方の定番「軽音楽をあなたに」(NHK)! けっこうマニアックな選曲で、サントラ特集なんかがおもしろかったな

 当時の主な「FM雑誌」としては……

「FMレコパル」(小学館。愛読してました。表紙がキュートだった。95年休刊)

「週刊FM」(音楽之友社。アーティスト情報が充実してた。RCサクセションの特集が多かった記憶があります。91年休 刊)

「FMファン」(共同通信社。クラシック中心で、オトナの雑誌でした。01年休刊)

「FMステーション」(後発の異端。大判の雑誌で、鈴木英人のイラストを表紙にしたアメリカンなつくりでした。隔週刊だったのでお 徳感もあった。98年休刊)

 ……などがあったのですが、90年代以降の「FM文化」の 消失とともに、現在では見事に全滅。

 それにしても、なぜ「FM文化」は消失したのか?

 これについては、もう時代の要請だったと無責任なことを言うしかないんですが、ひとつには、それまで「閉鎖的」だったFM放送にしかなかった「FM的な もの」が、オープンになってしまうことで失われた……という現象があったような気がします。「音楽ファンだけが集う」という「結社的」な空気感というか、 そういう「閉じた感じ」こそが、かつての「FM文化」の根底にあったのかなぁ、と。

 2008年、ラジオの聴取率調査で「FMがAMを抜く」 (J-WAVEが文化放送を抜く)という、従来では考え られないことが起こって業界がいろめきたちました。これがつまり、「FM文化」が消えたこと、というより、従来の「FM」というものがとっくに消えてし まっていたことの証明だと思います。

 1988年、J-WAVEが開局しました。
 ある種の「環境音」のような形で流しっぱなしにされることを前提とした番組作りのスタイルは、当時のFMとしては掟破り。英語のDJや、DJのトークを 楽曲の冒頭にかぶせるといった演出、また、タイトル紹介ナシで連続で曲をかけていくスタイルは、従来なら苦情が殺到するパターンです。また、「オサレ」な ファンション関連トークやら、スイーツがどうしたとか、ショッピングモールがこうしたとかいう「タウン情報」が番組に盛り込まれるのも異例でした。

 バブル期、J-WAVEのスタイルは当時の空気にマッチし ていたし、なにより、「東京の若者」の「大半」の価値 観にマッチしていたのだと思います。「東京の若者」の「大半」、つまり、東京で生まれ育ったリスナーではなく、地方から上京してきた「今は東京在住」の若 者をターゲットにした「東京ウォーカー」的発想の勝利。東京のイメージではなく、「地方から見た東京のイメージ」に忠実だったことが、J-WAVEの圧勝 の要因だったと思います。


 実際、J-WAVEが開局以来、一貫して提示し続ける「上京して青山で美容院をオープンしましたっ!」的なキャラクターが持っていそうな東京感に裏打ち されたスノビズム(わかりにくい!)は、東京人が聞くと「赤面死」してしまうほどキツイです。しかし、そのキツさが商売としてはクレバーだったということ でしょう。



 結果、FM他局もJ-WAVEに追従しました。各局が「特定の人しか相手にしない」という発想をやめ、AMと変わらないトーク中心の番組に移行した90 年代なかばの時点で、電波としてのFMはそのままに、僕らの知ってる「FM」は死んでいたわけです。


 音楽を聞くためのメディアから、ヴァーチャルな「ステキな東京ライフ」を漠然 と実感できるような環境作りのためのメディアへ。
 リスナーの数を増やし、より多くの広告を取るには、これは必須の変化です。圧倒的に正し い。
 バブル期以降、こういう「圧倒的な正さ」に、僕たちはあちこちで押しつぶされそうになって いる気がします。


(2011.2.14)


「週刊FM」1982年2月15日号



FM 情報誌には定番の付録、オリジナルカセットレーベル。なんか曖昧なデザインだなぁ…



懐 かしのTDK「AD」の広告。アンチSONY派だった僕は、ノーマルテープはたいていこれでした



FUJI の「FR」シリーズ。これ、当時から不思議だったんですけど、音質によって「アメリカン」「ヨーロピアン」に別れてたんですよね。本当にそんな違いがあっ たのあかなぁ?



サ ンスイ「ポルタ」。こんなデカいミニコンポをテニスコートに持ち込む80年代の青春の無謀さ



こ れ懐かしい。ナショナルの「カンガルー」。ラジカセからデッキ部分を取り出してウォークマン的につかえるというヤツ



倍速編集機能付きのダブルラジカセ、シャープの「サーチャーW」。トリプルラジカセなんてのもありましたね











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