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偏愛的・昭和ホラー系少女マンガ
BEST10





 本年は「小学生時代にクラスの女の子から借りて読んだホラー系少女マンガを再読してみる」がマイブームの年でした。30年の時を経て再読してみると、「へぇ〜」とか「ふぅ〜ん」とか「なぁ〜んだ」とか、いろいろと思うところがあるんですけど、今読んでも、というか、今あらためて読むと、むしろ鮮烈に「えっ?」という緊張感が走る作品もあったりしたので、ちょっとここにランキング形式でまとめておきたいと思います。

 ちなみに、小学生時代の僕は主体的に少女マンガを読むような子どもではなく(少年誌と少女誌の区分けが厳密だった当時、そんな男の子は一人もいなかった)、クラスの女子が「これ、おもしろいよ」と差し出してきたものをただ受動的に読んでいました。かなりランダムにいろいろ読まされたはずなのですが、僕に強烈なトラウマを植えつけたり、今の記憶に明確に刻みつけられたりしてるのは、なぜか美内すずえ、および高階良子の作品ばかり。
 当時は作者の名前など知らないままに読んでいたのに、記憶を頼りに作品を調べてみると、ほとんどが美内もしくは高階作品なんです。この二人の「目のつけどころ」が、小学生時代の僕にはツボだったようです。


 なので、かなりバランスの悪いランキングになっていますが(むしろ美内・高階作品のBEST10状態)、“極私的・偏愛的”ランキングということでご了承ください。多くが70年代の作品で、いくつか80年代のものもまざっています。

 ではさっそくカウントダウン。なるべくネタバレは避けます。以下の10+1冊のうち、あなたの心に一生消えない傷をつくってしまう作品がありますように!

10位『13月の悲劇』
美内すずえ 1971年 別冊マーガレット

 手元に詳細な資料がないんですけど、おそらく美内すずえが初めて描いたホラー作品だと思います。美内すずえは後にホラーを連続的に描くようになって以降も、一貫してかなりベタな「昭和の少女マンガ」のタッチを維持し続けますが、この初期ホラー作品はさすがに絵柄がキュート&素朴。後の「妖鬼妃伝」(1981年)などの禍々しさは皆無で、ちょっと頭でっかちに描かれる主人公キャラも一貫して「元気で清純で勇敢」です。
 というわけで、ほとんど「恐さ」は感じられない作品ではあるのですが、全寮制の厳格な学園が、実は悪魔崇拝主義者たちの根城だった……というテーマは、日常的に教師の「支配」や「体罰」にさらされている現役の小学生には、きわめてスリリングなものでしたし、「薔薇十字」や「ルシフェル」などのキーワードの散りばめ方も秀逸で、これを読んだ子たちはほどなく渋澤龍彦の本なんぞを手に取るようになります。
 にしても、大人になってから再読してビックリしちゃうのは、この作品がダリオ・アルジェントによるイタリアンホラーの金字塔『サスペリア』(1977年)、および『フェノミナ』(1984年)にあまりに似ていること。テーマや設定は『サスペリア』そのものだし、映画スターのお父さんを持つ主人公が全寮制の学園に入学してくる、というくだりは『フェノミナ』そっくりです。アルジェントが美内作品を読んでいたとは思えないし、こういうのをシンクロニシティって言うんでしょうか?



9位『わたしの人形は良い人形』
山岸涼子 1986年 ASUKA
 急に時代が跳んじゃいますけど……。大学時代、女の子たちの間で評判になっていた作品です。今ではホラー系少女マンガに「変革」をもたらしたマイルストーンとして語られていますよね。スプラッター&スラッシャーばかりになっちゃって、かなり停滞気味だったホラー映画に、「リアリズム」の新風を吹き込んだ「Jホラー」(『リング』やら『呪怨』やら)と、ほぼ同じ機能を持った作品だと思います。リアルな日常描写をガッチリとやっておいて、そこに「異物」が徐々に侵入してくる恐さ。前半、片田舎の村のご近所どうしの関係の描写とか、近隣の住民が集まってちょっとぎくしゃくする葬儀の場面とか、やっぱりうまいなぁと思います。
 ただ、僕は80年代に「新しい!」と評価された少女マンガ作家たちが今ひとつ苦手で、この山岸涼子も単純に絵柄が好きになれません。キャラがみんな「頭がちっちゃくて肩パット」な感じなんですよね。80年代的美意識!


わたしの人形は良い人形

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8位『汐の声』
山岸涼子 1982年 りぼん
 キライと言いつつ、またもや山岸作品。この作品が収められてる『ゆうれい談』(1986年。角川書店。現在文庫になっている同名書籍とは別物)ってのは変な本で、フィクションのホラー作品と、作者本人、あるいは作者が知人から聞いた霊体験談をまとめた作品、そして作者が霊体験について語るインタビューなどで構成されていて、全体がマンガによる「ほんとにあった怖い話」的な構成になっています。「この人、ほんとに幽霊好きなんだなぁ」ってのがリアルに伝わってきて、好感が持てる(笑)。
 『汐の声』はフィクションなんですが、テレビの心霊番組の「再現フィルム」のような陰湿な現実感を持つ良作。物語自体も、テレビの「インチキ心霊番組」のロケ現場が舞台。アイドル的「霊感少女」(実はやらせを強要されてる)が、周囲の「本物」の霊能力者たちに蔑まれつづけるとか、こういうイヤ〜なシチュエーションの描き込みのうまさはさすがです。


汐の声

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7位『堕天使の人形』
高階良子 1977年 ヤングレディ
 小学生時代、僕はこの作者の名前すら知らないまま、やたらと高階作品を読んでいたようです。調べてみると、記憶に残ってるアレもコレも高階良子の作品で、なんだかちょっと当惑しちゃいました。
 高階良子は「実話系」とは真逆のストーリーテラーで、それこそ絵に描いたような「怪奇趣味」の作家です。江戸川乱歩や横溝正史モノを手がけたりもしていて(しかし、原作モノはあんまりおもしろくないと思う)、いわゆる古きよき(?)「猟奇者」という感じ。
 この作品はヨーロッパ(と思われる)を舞台に、悪魔の人形が人から人へとわたりながら惨劇を繰り返す、というお話なのですが、この人の最大の特徴である「容赦のなさ」がきわだってます。掲載誌が『ヤングレディ』だったこともあって、当時としてはかなりエグイ作品。


6位『泥棒シンデレラ』
美内すずえ 1977年 ララ

 あまりにキュートな物語でホラーと呼ぶには難アリなんですが、いかにも美内すずえらしくて大好きな小品。主人公の少女の「ほんの出来心で他人のモノを盗んだ」という幼児体験が、彼女の心の中で極限まで肥大し、やがて現実を侵食していく……という悪夢のような内容。でありながら、主人公は別にダークヒロイン扱いされるわけでなく、ちゃん「普通の女の子」としての魅力を最後まで維持し、物語も「これぞ、昭和の少女マンガ!」といったハッピーエンドに終結します。
 が、このヒロインには『13月の悲劇』の主人公のような安定感が決定的に欠けてるんですよね。嫌な「ゆらぎ」が垣間見えて、一歩間違えれば下で紹介している『孔雀色のカナリア』の救いのなさにつながりかねない感じ……。
 取り返しのつかないほどのなにかを、子どもには難解なバッドエンディング作品としてゴロンと投げ出さずに、ちゃんと無難に「少女マンガ」の枠組みのなかに収めちゃう手腕。それが70年代の美内ホラーの最大の魅力だと思います。



5位『闇におどるきつね』
高階良子 1977年 なかよし

 またまた高階作品。やっぱりこの人、スケールの大きな作品より、こういうチンマリした舞台設定の方が威力を発揮するような気がします。これ、テーマはずばり「コックリさん」なんですよね。「コックリさん」ブームのさなかに発表されて、当時、「教室で『コックリさん』はやらないほうがいいよ。失敗するとこうなるんだよ」ってなノリで、クラス中の子がまわし読みしてました。
 裏テーマは「超能力」。要するに当時のちびっ子たちのオカルト志向をもろに反映している作品なんですが、ブーム便乗作品といった軽薄な感じはなくて、いろいろとそっち方面の資料にあたってガッチリ取材して描いているようです。



4位『人形の墓』
美内すずえ 1973年 マーガレット
 美内ホラーとしては、比較的初期の作品。ですが、『13月の悲劇』に比べるとサスペンスの強度が格段にアップしてます。家の中に、自分に殺意を持つ「なにか」が潜んでいる。でも、家族(ま、この作品では厳密には家族ではないんですが)の誰に言っても信じてもらえない……という「100%アウェイ」なシチュエーションは、明らかに楳図かずおの影響下にありますよね。楳図の『赤ん坊少女』パターン。
 が、ヒロインの少女と、その継母との「和解」というのがもうひとつの大きなテーマになっていて、全体が「主人公×義母×人形(義母の実の娘)」という三角関係で構成されているのがポイント。主人公が最終的に義母の愛を勝ち取る、という「感動的なハッピーエンディング」こそが美内らしさ。



3位『孔雀色のカナリア』
美内すずえ 1973〜1974年 セブンティーン

 少年期のトラウマ作品です。この作品の美内すずえは、かなりイッちゃってるというか、発表の場が「セブンティーン」ということもあってか、フルスロットルで暴走している気がします。いや、最終的には、それこそ吉屋信子の少女小説から連綿と続く「薄幸の少女の悲劇」を描いているわけで、ラストも「涙、涙の物語……」として、ある意味ではキレイに終わっているんですが、それにしても……。
 運命に翻弄され、この上なく惨めな生活を幼いころから強いられた少女が、あるとき覚醒し、ある種の「確信」を持って、そして綿密な計画を携えて、あまりに非情な「殺戮」を実行してゆく……という展開は、今読んでもかなり凄まじい。しかも、それを明らかに「殺す側の理論」で描いてる。つまり、読者が凶行に走る主人公に感情移入せざるを得ない形で物語が進んでいきます。これほどまでにストレートな「ピカレスク少女マンガ」って、一見ありそうで、実はかなり稀有だと思います。
 スキー場での殺戮場面は、何度読んでも目をそむけてしまいます。描写的に残虐というより、なんというか、「え? そこでブレーキを踏まないの?」と言いたくなるような主人公の暴走ぶりに圧倒される。変な言い方ですが、本来の美内すずえなら、もうちょっとストーリーに曲線を取り入れると思うんですよね。事件を起こしちゃうにしても、なんらかのヒネリを工夫するような気がします。でも、ここでは冒頭で「殺す!」と宣言した主人公が、ただただ本当に「殺す!」を実行しちゃう。その「本当にやっちゃうの?」という物語の強硬な「直進ぶり」が、ちょっとほかの美内作品にはないヒリヒリするような痛みを生みだしています。



2位『昆虫の家』
高階良子 1973年 なかよし

 これ、小学生時代に一読して、以来、ずーっと心にひっかかっていた作品だったんですが、今年になってようやくタイトルと作者が判明しました。やっぱり高階作品!
 おそらく映画『コレクター』(1965年。原作はジョン・ファウルズの小説)を元ネタにした作品だと思います。蝶の収集に異常な執念を持つ少女(『コレクター』では、この役柄が男性)が、その関心を「人間」に向けてしまうとき、何が起こるのか? という恐ろし〜い話。
 が、なぜか少しも陰惨じゃないと言うか、ちょっと美しい寓話みたいな読後感があって、なんとも不思議な作品に仕上がってるんです。ひとえに、主人公の女の子「クレール」の徹底した偏執狂ぶり、別の言い方をすれば「一途さ」というか、自分の美意識に対する「純真さ」のせいだと思います。
 小学生時代、「クレール」があまりにかわいそうで、「なんで彼女がこんな目に合うんだ? 彼女は少しも悪くないじゃないか!」と同情した記憶があるんですけど、再読しみると「イヤ、充分悪いだろ」でした。そう、もちろん「凶悪」なんですけど、誰にも「断罪」できないキャラクターとして描かれているんですよね。にしても、「彼女は少しも悪くないじゃないか!」と本気で思った小学生時代の自分がコワイです。



1位『洗礼』
楳図かずお 1973年 少女コミック
 やっぱり1位はこれになっちゃうんですよねぇ……。
 僕は基本的に「表現の自由」は最優先されるべきだと思ってますし、表現において「語っちゃいけないこと」なんてないと考えているんですけど、これを初めて読んだときは、っていうか、今読んでも、「ここまでやっちゃっていいのかな?」という動揺を覚えます。サドの『悪徳の栄』を読んだときのような感覚……。楳図かずおの冷徹な狂いっぷりにも瞠目しますけど、この作品を「小コミ」に連載してしまった編集者にも心からの敬意を払っちゃいますね。
 人間の想像力ってのは恐ろしいもので、たいていのフィクションに登場する「悪役」の「邪悪さ」なんて、ほとんどの場合は「大したことないじゃん」なんですよね。こっちの想像力が、描かれた悪を超えてしまう。でも、なかには文字通り「想像を絶する」場合があって、『洗礼』の「さくら=いずみ」は、まさにそういう例のひとつだと思います。
 昨今の表現物にはさまざまな「極悪人」が登場しますが、たとえば一時期の話題をさらった映画『ダークナイト』の「ジョーカー」なんかが「究極の悪」として哲学的に語られたりもするわけですけど、僕的にはあんまりピンときません。現代の多くの悪役が、単なるインフレーションを起こしているだけで、量的な問題に還元可能です。「一人殺すより百人殺す方が悪いよね」というような。「罪悪感のなさ」の描写なども、単なる「設定」に過ぎないし。
 本作の主人公は、殺人鬼でもないし、テロリストでもなく、むしろ積極的に罪を犯すことにはまったく興味を覚えていません。ことの発端となるおぞましい「悪魔の計画」は、ただただ「老いていくのが恐い」といった誰もが持つ感情に突き動かされただけだし、その果てに「あれ」をやってしまってからも、やはり多くの人と同じように「平凡でもいいから小さな幸せをつかみたい」とだけ願って行動する。ただ、「いずみ=さくら」が我々と決定的に違うのは、そのことのためなら「どんなことでもする」という決意を持っていて、そして実際、「どんなことでも」してしまうということ。
 そのような「邪悪さ」はどこにも還元できないし、究極的に修正不能だと思います。先ほど「我々と決定的に違う」と書きましたが、還元も修正も不能な「邪悪さ」というのはつまり、すべての人間がデフォルトの状態で持っている「本質」にほかならない。「一番恐いのは人間」ということはよく言われますが、それを文字通り究極まで突き詰めて形にすると、これほどまでにモラルを破壊しつくす超悪魔的なモンスターが登場する、ということでしょう。
 「小コミ」連載時、リアルタイムで「洗礼」を読むハメになってしまった元少女たちが、今は「小さな幸せ」をつかんで平和に暮らしていることを願うばかりです。


洗礼(第1巻)

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番外『白い影法師』
美内すずえ 1975年 ミミ

 twitterで「一番恐い70年代の少女マンガ」の話をしていたとき、フォロワーの女性の多くが「これ!」と口をそろえて教えてくれたのが本作。こうも多くの人が同じひとつの作品を口にするなんておかしいなぁ、と思って調べてみると、70年代のトラウマ少女マンガとしてはトップクラスの知名度を誇る作品でした。これまた美内すずえの作なんですが、残念ながら僕は未読。クラスの女子が貸してくれたものを受動的に読むだけ、という受け手だったので、間抜けにも、こういう重要作を完全にスルーしてたようです。
 なぜか「あの席には誰も座っちゃいけない」ということが暗幕の了解になっている「教室の空席」をめぐる物語。「学校の怪談」と実話系Jホラーを通過した現在では、さほど新鮮な語り口ではないものの、当時としてはこの作品のリアル感は驚愕に値するものだったと思います。
 掲載誌を「慌てて捨てた」とか、「本作掲載ページをホッチキスで閉じて二度と開かないようにした」と語る人が多いのも納得。にしても、本作は美内作品としてはかなり異質です。なんとなく、なんらかの取材をしたうえで、一種のドキュメントとしてストーリーを構成しているようなタッチ。展開が妙に控えめで、彼女の作品としては日常感がありすぎるんですよね。物語を犠牲にしてでも「現実味」を優先しようとしている、というか。ほかにもこういうノリの作品を描いているんでしょうか?
 かつて、多くの元少女たちが叫び声をあげたというクライマックスの「あのコマ」。さすがに大人が今読んで「ひぇ〜」とはなりませんが、それでもやっぱりホラー作家としての「うまさ」がヒシヒシと伝わってきます。ああ、これを小学生時代に読まなくてよかったなぁ、と胸をなでおろしちゃいます。


(2010.10.30)


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