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マクドナルド銀座1号店

「どしゃぶりハンバーガーの後悔」




 日本におけるハンバーガーの歴史は、いうまでもなく1971年に上陸したマクドナルドによってはじまりました。といっても、それ以前に国内にハンバーガーなる食品が存在しなかったわけではありません。少なくとも「ハンバーガー」という言葉は、マクドナルド上陸以前にも定着していました。
 日本初のハンバーガーチェーン、いや、初のファストフードチェーンとして、すでに1970年に「ドムドムバーガー」がオープンしているし(東京町田)、それよりなにより、全国の「町のパン屋さん」では、たいてい「ハンバーガー」と名づけられている食品が販売されていました。


 僕たち世代が生まれてはじめて食べたハンバーガーは、その「町のパン屋さん」のハンバーガー。今から考えると、それはかなり奇怪な食品でした。
 バンズ、というか切り込みを入れた丸いパン(ホットドッグのパンを円形にした感じで、完全に分離していない)にはさまっているのは、ハンバーグというより「つぶれた肉団子」。ケチャップで煮込んじゃったみたいな正体不明の挽肉のかたまりで、そこにベットリとソース(普通の中農ソース)らしきものがかかっています。さらに、なぜか千切りキャベツがトッピングされていました。発想としては昔ながらのカツサンドに近い。
 これはウチの近所のパン屋が「どうかしてた」ってことではなく、マクドナルド以前の日本産ハンバーガーは全国的にどこもこんなものだったと思います(もちろん、しかるべきところには本格的なハンバーガー専門店も存在してはいましたが)。実際、個人経営のパン屋以外にも、山崎製パンなどが袋に入った大量生産バーガーをつくっていましたが、これもやはりソース味&キャベツトッピングのタイプでした。

 園児時代の僕は、そういう「一応バーガー」みたいなものをパクつきながら、いつも首を傾げていました。子どもながらに「なんか違うんじゃないか?」という予感みたいなものがあったわけです。
 外国産ドラマや映画で見るハンバーガーとは、どこがどうというわけではないけど、なんか違う。こんな「ソース味の肉団子サンド」みたいなものだとは思えない。あの『ポパイ』の「ウインピー」(意味もなく登場する脇役の太ったおじさん。常にハンバーガーを食べている。国産キャラでいうところの「ラーメン大好き小池さん」的存在)が、こんなものに夢中になっているはずはない。おかしい、絶対におかしい……


 と思っているところに登場したのが、本場アメリカの巨大チェーン、マクドナルドでした。
 1号店は銀座三越の店舗の一部を間借りする形でオープン。1971年7月のことです。イートインスペースなし。路面に面した売り場があるだけの簡易なショップだったんです。
 にもかかわらず、登場と同時にトレンド中のトレンドとなりました。一時期のクリスピークリーム以上の大騒ぎ。OL向けのファッション情報番組(そういうのが多かったんです。パリやニューヨークのカルチャーやら銀座のファッションの最新の傾向などを「ファッションリーダー」的な人が紹介する。そのリーダーが黒柳徹子だったりする)などでも連日取り上げられていました。そう、食品というより、ファッションのトピックのひとつだった。マクドナルドでハンバーガーを買って、それを「歩きながら食べる」。これがファッショナブルでヒップでクールとされたわけです。同時に、「食べ歩き」の文化が皆無だった当時の日本では、当然ながら「行儀悪い」「風紀が乱れる」という保守派の意見も盛んになって、ちょっとした論争になったり。

 「食べ歩き」=オシャレという新たな価値観の登場の背景には、ふたつのできごとがありました。
 ひとつは1970年の大阪万博。会場ではハンバーガーをはじめとする各国のファストフードが売られ、多くの外国人客が本国と同じように「食べ歩き」をしたらしく、今ではちょっと考えにくいことですが、「なんだ、あいつら、歩きながら食事してるゾ!」と日本人のドギモを抜いたようです。若者たちは素早い適応力で「ああ、ああいうのもアリなのか!」と開眼し、「外国人の行為=すべてオシャレ」という時代でしたから、またたくまに価値転換が行われたらしい。
 もうひとつは60年代後半からはじまった歩行者天国の普及。モータリゼーションの「発達しすぎ」により、「道路は人間のものである!」的な意見が増えはじめ、各地で「ストリートの解放」が行われました。都内では、当時の情報発信地である銀座の歩行者天国がメッカで、道路の真ん中にパラソルつきのテーブルが置かれたりして、これも「食べ歩き文化」の定着を加速させる大きな要因となりました。


 マクドナルドオープン時に4歳だった僕が、もちろん「行きたい、行きたい、行きたい、行きたい、行きたい!」と母親にねだったことは言うまでもありません。本当のハンバーガーがどのようなものか、ようやくわかるチャンスが訪れたと思ったわけです。「電車に乗ってパンを食べに行くなんてバカみたい」と渋っていた母親はとうとう折れて、「じゃあ、こんどの土曜日ね」ということになりました。

 で、その土曜日はどしゃぶりの雨……。延期を提案する母親を「約束したじゃないかっ!」とうながし、とにかく銀座に行ったわけです。オープン間もないころだったので、ひどい雨にもかかわらず、店舗の前には長蛇の列。ずぶぬれになりながら並んで、取りあえずチーズバーガー、マックフライポテト、マックシェイクを2人分購入。購入したはいいものの、イートインなしのマクドナルドです。雨の日には打つ手がない。買ったものを持ったまま、「これをどうしろというんだっ?」と叫びたくなります。だからって、家に帰って食べるわけにはいきません。それではハンバーガーらしくない。「野外で食べる」をやらなければ、せっかく「本場のハンバーガー」ショップに来た意味がない!

 しかたなく、店舗の横のわずかな軒下で雨宿りをしつつ、半濡れ状態でハンバーガーを食べました。母親はさすがに腹を立てて、「なんで銀座まで来て、雨の中でこんなもの食べなきゃなんないのよ!」と怒り出だしました。さすがに僕も反抗する気になれず、「もっともだなぁ」とうなだれました。こんな店にムリヤリ母を連れてきてしまったことを、ひどく後悔しました。

 初めて口にした「本場のハンバーガー」がどんな味だったのか、ちっとも覚えていません。
 覚えているのは、銀座の大通りにふりしきる雨を眺めながら、「とにかく早く食べて帰ろう」とあせったこと。そして、なぜか母親がひどく気の毒に思えた、ってこと。なんだかすごくミジメな目にあわせてしまったような気がして、目頭のあたりがジワジワしてきた……という説明不能の不思議な気持ちだけです。


(2009.12.26)

1971年、オープン当初のマクドナルド銀座1号店と、いかにも70年代的なカラーリングのパラソルが並ぶ歩行者天国。「ヤング」と「ニューファミリー」の新たなライフスタイルを象徴するこの光景も、今ではすっかり「歴史の1ページ」に。

70年代後半ごろかな、マックに新メニューとして登場したパイナップル入りバーガー。名前はウロ覚えだけど、「パイナップルバーガー」だか「トロピカルバーガー」だか「ハワイアンバーガー」だったと思う。多くの友人たちはひと口食べて「ゲゲッ!」となっていたけど、僕は大好きだった。が、大キャンペーンを打って導入したにもかかわらず、1ヶ月ほどでアッサリ消滅。そうとうに評判が悪かったらしい

上記のパイナップル入りバーガー導入時のキャンペンーでは、購入すると輪切りパイン型のオモチャがもらえた。駄菓子屋さんなどでもよく売られていたヤツ。これ、なんて呼ぶんだろう? こんなふうにして遊ぶ↓

両端のヒモを持ってクルクルと回し、よくネジる。ヒモがほどよくネジれたところででギュッとひっぱると、プラ製パインが「ブ〜ン」とウナリをあげながら回転する。3分で飽きる


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