初見健一のweb site * 東京レトロスペクティブ



「なぜなに学習図鑑」その2

「びっくり理科てじな」との再会

*関連トピック:『なぜなに学習図鑑』その1




 以前に紹介した小学館のトラウマ系児童図鑑『なぜなに学習図鑑』の記事内にて、僕が最初に出会った『なぜなに』は第16巻の「なぜなにびっくり理科てじな」であったこと、そしてこの本こそが当時6歳だったいたいけな僕に「科学=オカルト」という「危険思想」を植えつけた元凶であることを説明いたしました。

 先日、この「悪書」を入手することができました。30数年ぶりに手にしましたが、当時、あまりに繰りかえし眺めまくった本なので、懐かしいモノに再開した、という感動よりも、なにかもっとフシギな、いや、ブキミな感慨がありました。

 個々の記事やイラストの多くはすでに忘却の彼方にあったにもかかわらず、あらためてページをめくっていくたび に、そのページの内容のすべての記憶が、細部にわたって瞬時に戻ってきます。脳内のどこかにしまい込んだまま長らく行方不明になっていた「情報」が、次々 に発掘されていくような感じ。本という、自分の外側にある物体を視覚で捉えているというより、自分の内側から「情報」をサルベージしていくような感触。幼 少のおりに体内に埋め込まれた「異物」を、外科手術でひとつひとつ取り出していくようなキモチの悪さ……


 記憶のメカニズムって、やっぱりフシギ。「覚えてる」と「忘れた」という区別 は、本当はすごく曖昧だし、「懐かしさ」って感情を極限まで突き詰めると、正気と狂気のあわいが危うくなるような、なにかしらちょっとブキミな領域まで イッちゃうのかも知れないなぁ……ってなことをあらためて考えました。

 ってのは、まぁ、あんまり共感してもらえないと思いますが、取りあえずは『なぜなにびっくり理科てじな』の内容のいくつかをランダムに紹介してみたいと思います。




「表紙」
なにがなにやら…というワケのわからぬ表紙。本のコンセプトとしては、「科学を応用した誰にでも簡単にできる手品を紹介する」というタワイのないものなんですけど、そこはやっぱり『なぜなに』。全体的に無意味なほどの「おカルト」な雰囲気に満ち満ちています



「あっ!首がしゃべる!」
僕が「この本、欲しい!」と思ったのは、この1枚のイラストを目にしたから。当時、なぜか周囲の子どもたちの間でフランケンシュタイン人気が高まっていて (これ、いくら考えても理由がわからない。なんの影響だったんだろう?)、近所の「よっちゃん」が「フランケンシュタインの生首が出てる本が売ってたよ」 と教えてくれて、「ほたる書房」に二人で立ち読みにいきました。そこで完全に魅せられちゃったワケです。記事内容は「生首の手品は鏡を使ったトリックで す」ということを図解しているだけなんですけど、こういう挿絵をムダにホラーにしちゃうのが『なぜなに』なんですよね


「7色に見えるコマ」
黒いインクで模様を描いただけなのに、回すと虹色が浮かびあがるというコマ。錯覚を応用した伝統的な実験のひとつらしいんですが、実際にやってみたけどできなかったのを覚えています。ヒマな人はやってみてください



「がいこつに変わる少女」
こちらも伝統的手品のタネ明かしを図解したもの。下半身が白骨化した少女イラストの衝撃度が強すぎて、説明を読むどころじゃありません


「もしも海の水がおしよせてきたら」
もう、典型的な70年代の「終末パニック絵」ですね。「南極の氷が解けると……」という、極めて今日的な問題を扱っています


「かいじゅうなんかにまけないぞ!」
単にテコの原理を説明するだけのイラストなんですけど、あまりに非現実的な光景で原理の理解もブッとびます(笑)。描いているのは御大・石原豪人先生


「ささやく声がきこえる」
地味めなイラストですが、当時、これが恐かったんです。セントポール寺院のドームでは、大きな声は反響にかきけされて聞こえない、しかし、小さな声でささ やくと回廊の向こう側にいる人にまで聞こえる……ということを解説したもの。音の反射の解説です。が、寺院の壁を伝ってひそひそ声が聞こえるっていうイ メージに、幼児のころの僕はゾワゾワしちゃいました



「Qちゃんとふしぎなてがみ」
なぜか唐突に挿入される「オバケのQ太郎」。ま、小学館ですからね。それにしても「Oちゃん」が普通にしゃべってるけど、あの子、「バケラッタ」以外のセリフも言えるんだっけ?

(2010.3.28)



初見健一のweb site * 東京レトロスペクティブ



アクセス解析

inserted by FC2 system