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『ぼくらの昭和オカルト大百科』
補稿

 拙著『ぼくらの昭和オカルト大百科 70年代オカルトブーム再考』は、当初、200ページ程度を予定して書きはじめられた本なのですが、僕の持病である「制限枚数の倍以上書かないと趣旨が伝えられない病」により、できあがった第一稿は520ページを超えておりました。
 「オカルト本にしては冗長すぎるっ!」「この分量じゃ製本できないっ!」「厚い本は売れないっ!」「お前には常識というものがないのかっ!」「死んでしまえっ!」などということになったので、ぶんむくれながら二百数十ページを削ったわけです。
  確かに冗長な部分がほとんどで、まぁ、結果的には刈り込んで正解だったんですけども、なかには「ここはカットしたくないなぁ」というパートもチラホラあるし、なにしろせっかく書いたのに誰の目にも触れずにハードディスク内の「藻屑」にしちゃうのもムカつくので、『東京レトロスペクティブ』内で「リサイクル」することにしました。
 単なるボツ稿であり、つまりは文字通りの「ゴミ」ではあるのですが、完成版『ぼくらの昭和オカルト大百科』の「補稿」、もしくは「蛇足」として、慈悲深い心でお読みいただければ幸いです。

・その1 思い出の「再現フィルム」アレコレ〜『あなたの知らない世界』の終焉
・その2 ……製作中!……
・その3 ……製作中!……




『ぼくらの昭和オカルト大百科』補稿 その1
05章 心霊……オカルト娘の血は騒ぐ/p247以降に挿入

 思い出の「心霊体験再現フィルム」アレコレ〜『あなたの知らない世界』の終焉
* 本稿は、1973年から日本テレビ系列で放映された『お昼のワイドショー』内の企画『あなたの知らない世界』を解説した部分です。「心霊番組」のパイオニ アである同コーナーで放映された「心霊体験再現フィルム」についてゴタクを並べているわけですが、当時、こういう「再現フィルム」形式の「心霊番組」は無 数に制作されていました。記憶を頼りに『あなたの知らない世界』で放映されたものをピックアップしたつもりですが、別番組に関する記憶もかなり混ざっているかも知れません。全放映リストみたいな資料も存在しないため、記憶の裏を取るにはかなりの調査が必要になると思います。そんなめんどくさいことはやっていられないので……時間的にもそうした調査をする余裕がなかったので、やむなく以下のくだりは本稿から削除することにしました。
 

■思い出の「再現フィルム」アレコレ

 『あなたの知らない世界』が「最恐」だったのは、やはり夏期限定のスペシャル企画だった時代だと思う。製作期間に余裕があったからか、この時期はネタのセレクトや「再現フィルム」の演出にやたらとリキが入っていて、後々まで語り継がれる「名作」が数多く生まれている。

  我々世代なら誰もが知っているキャシー中島さんの「小仏トンネルの体験」も、この時期に放映されたものだ。その後、いろいろな「心霊番組」がくり返し取り あげたが、初出は『あなたの知らない世界』だったはずだ。神奈川県にある小仏トンネルは以前から「出る」と言われていたらしいが、中島さんの体験談の放映後は全国的に有名な「心霊スポット」になってしまった。
 あの「再現フィルム」を見たときのことは僕もマザマザと覚えているが、全身に鳥肌が立つほど恐かった。中島さんが知人とドライブに行った帰り道、小仏トンネルのなかほどで車が「なにか」をはねてしまい、慌てて停車したところ、車体をバンバンバン!と叩く音とともに、フロントガラスに無数の白い手型がつけられる……という話なのだが、当時としては幕切れの形が非常に異例だったのだ。
  パニックになった中島さんたちは悲鳴をあげながら車から飛び降り、トンネルの外に逃げ出してしまう。が、知人のひとりがいないことに気づいて、しばらくしてから車に戻ってみる。すると、その知人は後部座席で精神錯乱を起こしており、最後は「彼は今も都内の某病院に入院しています」というナレーションで終わ るのである。

 子どもとしては、この「今も入院している」という、初めて耳にするパターンの結末は、まさに「驚愕!」だったのだ。話がエピソードのなかだけで完結せず、「今も」という形で「こちら側」に痕跡を残している。単なる怪談の範疇を超えたリアリティがあったし、その「彼」が、結局、どんなものを見て錯乱に至ったのかが語られないままなのも恐かった。
 「なにか」を見た人が、いわゆる「廃人」になってしまうという展開、その後はさまざまな怪談のオチに使われて(?)いるが、この話以前には耳にしたことがなかったと思う。
 これを目にしてからは、テレビにキャシー中島さんが出てきただけで、反射的に「恐いっ!」と思うようになってしまった。

  また、同じくテレビで繰り返し語られて定番化する八代亜紀さんの体験も、初披露は『あなたの知らない世界』だったと思う。四国の旅館で起こった話だ。旅館の部屋の屋根裏から、ガリガリというノイズをたてながら逆さ吊りで現れる女の「幽霊」は、もうビジュアル的に「最恐」で、それこそ『リング』の「貞子」や『呪怨』の「伽椰子」など、「Jホラー」の名物キャラの雰囲気を先取りしていた。これを見てからしばらくは、寝る前に子ども部屋の天井のすみが気になってしかたがなかった。

 個人的に最も恐ろしかったのは、細部はまったくうろ覚えなのだが、どこかのホテルの厨房に現れた「幽霊」の話。おそらく七四、五年ごろに放映されたものだ。
 数十人ものスタッフがワサワサと慌ただしく働く厨房のすみに、「開かずの扉」がある。確か、かつての食材貯蔵庫のようなものだったと思う。
  その内部から突如、ドタン!という音が聞こえる。忙しく働いていたスタッフたちがピタリと手を止め、そちらを見つめていると、開かずの扉がギギギと開き、うつろな目をした女性が顔をのぞかせる……。たったそれだけの話なのだが、幽霊が姿を現しても、スッタフのみんなはしばらくキョトンとしながら無言で立ち尽くし、誰かが思い出したように「キャーッ!」と悲鳴をあげたとたん、全員がいっせいにパニックに陥って逃げ出す、という演出がリアルだった。
 「どこを見ているわけでもない」という感じの幽霊の不可思議な視線も恐くて、このニュアンスはちょっと文章では伝えづらいが、押し入れやクローゼットからおもむろに人が出てくる……というイメージは、以降、僕がもっとも苦手とする「幽霊」出現パターンとなった。
  これも当時としては「掟破り」の怪談だったと思う。「幽霊」というものは、基本的には暗くて静かな場所、しかも、こちらがひとり、あるいは少人数でいるときにだけ出現するものとタカをくくっていた僕は、集団で仕事をしているような場所にも「出る!」、という意外な展開にドギモを抜かれたのである。「ってことは教室にいるときも安心できないじゃないか!」などと考えたのを覚えている。

 逆のパターンもあった。
 これもどこかの海辺の旅館の部屋が舞台だ。投稿者の男性が最上階の部屋でひとりで眠っていると、窓の外に異様な気配を感じて目を覚ます。ふとそちらに目をやると、ベランダなどないはずの窓の外に、漁師のような格好をしたオジサンの「幽霊」の集団が、横一列にズラリと並んでこちらを見ていた、という話。
 この「集団で出てくる」というのも、当時としては「反則」だった。幽霊なんて一体だけでも十分すぎるのに、集団で出てこられてはたまったものではない。


■レアな「紙芝居形式」と脱力系「再現フィルム」

 妙に印象に残っているのだが、誰に話しても「そんなの覚えてない」と言われてしまうエピソードもある。ことによったら、別のワイドショーの「心霊」企画だったのかも知れないが、記憶では確かに『あなたの知らない世界』だった……はずなのだ。

  一時期、予算の関係なのか、あるいは投稿が急増して「再現フィルム」の制作が追いつかなくなったのか、番組の後半で、短いエピソードを「紙芝居形式」(?)で見せていたことがあったのだ。妙にリアルで陰湿なタッチのイラストと、ナレーションのみで「体験談」を説明していくのである。これ、よけいに伝わりづらくなるかも知れないが、昔、東京12チャンネルで、楳図かずおの『猫目小僧』が『妖怪伝猫目小僧』(一九七六年)として放映されたことがあった。アニメではなく、「ゲキメーション」と呼ばれる「紙芝居形式」だったが、あの感じに非常に近い。

 この低予算の方式が意外なほどに恐くて、今でも覚えているのは「道玄坂の怪」みたいなタイトルの話。
 ある夜、カップルが渋谷の道玄坂付近を車で走っているときに、なぜかふいに道に迷ってしまう。熟知しているはずの渋谷を走っていたはずなのに、急に人里離れた山道のような場所に迷い込んでしまうのである。
  車を停めて周囲を見まわすと、人影はまったくなく、ただ木々がうっそうと生い茂ったみすぼらしい神社があり、小さな赤い鳥居が立っている。それを見たカップルは「渋谷に、こんな場所あったっけ?」と首をかしげるのだが、とにかくまた車を走らせ、知っている国道を探す。しかし、どこをどう走っても、車は何度も神社の前に出てしまうのである。
 徐々にパニックになりながら何時間も堂々めぐりをしているうちに、突然、視界が開けて渋谷の国道に戻ることができる。数時間走り続けたはずなのに、時計を見ると、迷ってから五分ほどしか経っていなかった……という話で、これは家の近所で起こった現象だけに、見たあとでイヤ〜な気分になった。

 その後、中学生になったころだと思う。友人と楽器屋だかなんだかを探すために道玄坂の路地の奥をウロウロしていたとき、突然、目の前に小さな神社が現れたことがあった。「えぇぇぇっ!」と大声をあげてしまったが、これは道玄坂百軒店の奥にある千代田稲荷神社。「心霊」とも「四次元」とも無関係な、ちゃんと実在する神社なのだ。
 確かにかなり場違いなところにあり、この一角だけは渋谷とは思えない雰囲気をたたえている。特に夜、知らずに目にしてしまうと、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうかも知れない。あのカップルは、これを見てパニックを起こしたんじゃないかなぁ? などと考えたりした。

 あたりまえの話だが、いくら『あなたの知らない世界』がエポックメイキングな傑作番組だったとはいえ、大量に放映された「再現フィルム」のすべてが傑作だったわけではない。実際、「なんだ、そりゃ?」という駄作も多かった。『あなたの知らない世界』史上、もっとも脱力してしまうアホ「再現フィルム」として記憶に刻まれているのが、「ブルース・リーの幽霊」という話。

  投稿者は確か女子高生で、ちょっと常軌を逸したほどの熱烈なブルース・リーのファン。部屋中に彼のポスターを貼りまくり、寝ても覚めても彼のことを考えている。この子が真昼間の公園だかで、ブルース・リー本人の幽霊に出会ってしまうのだ。その幽霊、わざわざ「アチョ〜!」と例の「怪鳥音」で叫びながら、彼女の前で『燃えよドラゴン』のヌンチャクアクションを披露してくれる。で、「きっとリーさんが天国から私に会いにきてくれたのです。愛が通じたのです!」みたいな投稿者のナレーションで話が結ばれるのだが……

 なんでこんな痛いファンのオタ妄想みたいな逸話が採用されたのか、今もって不思議である。


■『あなたの知らない世界』の終焉

  『あなたの知らない世界』は一九八七年まで放映されたが(その後も復活企画のような形で放映されたこともあったが)、個人的には、八〇年代に入ったころか ら急速につまらなくなった……という印象がある。「再現フィルム」の内容がやたらと説教くさくなったり、非常にありがちなストーリーばかりになってしまったということも大きいのだが、僕がもっとも違和感を感じたのは、あるときから映像の質感がまったく変わってしまったことだ。

 この違和感を最初に感じたときの衝撃はよく覚えている。
  夏休み、祖父母の家に遊びに行って、やはりテレビの前で心待ちにしながら、『あなたの知らない世界』を見たときだ。今から考えると、おじいちゃんちにいるときくらいは「心霊」のことを忘れて、もっと夏休みっぽい過ごし方をしろ、という気もするが、それはともかくとして、そこで目にした「再現フィルム」が、なんというか、妙にペラッペラだったのだ。
 言葉ではちょっと説明しにくいが、奥行がないというか、雰囲気がないというか、映像に従来の「感じ」がまったくなくなっていたのである。特に暗闇の描写になると、全体がやけに青っぽくて、闇のはずなのにやけに明るい。「幽霊」出現シーンも、チカチカとカラフルなライトがあたったりして、文化祭のお化け屋敷レベル。以降、その低レベルの「再現フィルム」ばかりになり、子ども時代の僕を震撼させたあの「感じ」は、番組から消えてしまった。

 そのときは「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と思っただけだったが、今から考えると、それがちょうどテレビ業界の収録メディアがフィルムからビデオに移行した時期だったようだ。初期の「再現フィルム」にあった、ちょっと古い映画のような荒くて暗めの画像から、ビデオ特有の妙に明快なピカピカした質感に変わってしまったのである。

 現在はデジタルビデオ撮影でも、「幽霊」をそれなりに見せてしまう映像加工技術が確立されているが、八〇年代のフィルムからの移行期、ビデオに映し出された「幽霊」は、ちょっとかわいそうになるくらいにマヌケだった。

 それっきり、僕は『あなたの知らない世界』を「卒業」してしまったのである。

(2013.1.18)



『あなたの知らない世界』 新倉イワオ・著 日本テレビ刊 1980年
『お 昼のワイドショー』の名物「心霊」企画『あなたの知らない世界』から生まれた番組本。シリーズは20冊を超える。内容は番組同様、視聴者の「心霊体験」の 紹介や、番組制作の裏話、新倉氏の「心霊」エッセイ(?)など。モラルに満ちた文章にはほとんど恐怖感はなく、新倉センセイの「人柄のよさ」のみがヒシヒ シと伝わってくるハートウォーミングな心霊本である。

































『妖怪伝 猫目小僧』
1976 年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放映された子ども向け快気系アニメ番組の極北。セル画によるアニメではなく、紙芝居のようなイラストに光学処 理などの特殊効果をプラスしてシーンを構成する「ゲキメーション」という手法が採用されていた。個人的には、「楳図世界」の構築にはもっとも適した手法 だったと思う。後年、『ほんとにあった怖い話』(フジテレビ)のオープニングで、ほぼ同じ手法の「ゲキメーション」シーンが『猫目小僧』へのオマージュの ような形で再現されている。



『ふしぎな現象の世界 四次元が、きみのとなりに……』
中岡俊哉・著 永岡書店刊 1984年
「ケ イブンシャ大百科」や「コロタン文庫」などに追随した「ピコピコブックス」の1冊。左の「道玄坂の怪」のような話はいわゆる「四次元もの」とも呼ばれる が、その種のエピソードが多数収録されている。中岡センセイの「実体験」なども紹介されており、それなりに読み応えはあるものの、チープすぎる造本と挿絵 の「やっつけ感」が凄まじい。当時、「時空の隙間に迷い込んでしまう」的な「四次元もの」は「心霊」ネタのサブジャンルとして人気を博しており、その源流 は60年代から『世界のふしぎ』みたいな本には必ず掲載されていた「バミューダトライアングルの怪」などにある。




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