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大場久美子

「少女の哲学」

 


(*1)




 僕はあまりアイドルに興味を持つ子供ではなくて、キャンディーズにもピンクレディーにも、松田聖子を筆頭とした80年代アイドル群にもひっかかりませんでした。
 唯一、好きだったのが、というか、「好きということになっていた」のが大場久美子。

 小学校5年生のころ(*2)、H田君が「榊原郁恵と大場久美子、どっちが好き?」と聞いてきました。当時、なぜかあの二人は比較されることが多く、その後も「ゆるいチーム」みたいに二人セットでメディアに扱われることが多かったんですよね(*3)。どっちにもそれほど興味はなかったけど、榊原郁恵は「八百屋のアルバイトのお姉さん」にしか見えなかったので、取りあえず「大場久美子」と答えておきました。

 それを聞いていたらしい班長のT岡さんが、翌日、「はい。これあげる」と僕に紙の束を手渡しました。見ると、すべて大場久美子の切り抜き。『明星』などのティーン向け芸能誌から、わざわざ切り取ってくれたらしい。とりあえず「ありがとう」と答えておきました。
 それ以来、わりと仲のよいクラスの女子たちが、ティーン雑誌で大場久美子の写真を見つけるたびに、それを切り取ってくれるようになりました。家の机の引き出しは、すぐに大場久美子の写真やらインタビュー記事やら付録のポストカードやらシールでいっぱいになってしまいました。
 僕は徐々に「このままでいいのだろうか?」と考えるようになり、かといって、いまさらみんなに「別に好きじゃないのに」と言うわけにもいきません。困り果てて出した結論が、「大場久美子を本当に好きになってみる」でした。

 彼女の出演している番組はなるべく見るようにして、CMなどにも注目する。少ないお小遣いをやりくりして、レコードも買ってみる……てなことをしているうちに、本当に好きになっちゃったんです。
 女の子たちから切り抜き写真を手渡されても良心の呵責じみたものを感じることはなくなり、素直に「ありがとう」と言えるようになりました。

 大場久美子は女優、もしくは(特に何ができるというわけでもない類の)タレントとしての活動が目立ちましたが、その特異な才能が一番輝くのはやはり歌手としてだと思います。
 本人は後年、「私は音痴だから」といって歌手活動をやめたましが、彼女は日本では本当に貴重な「エレガント音痴」でした。これは冗談でも皮肉でもなく、60年代のフレンチポップスとイギリスのモッドガール系シンガー、およびイージーリスニング系ボサノヴァの歌い手の一部にしか見あたらないエレガントな音痴。日本にこの系譜はほとんどないと思います。

 アンチ・ロックのムーブメントでもあったラウンジブームが花開いた90年代以降、疑似昭和歌謡、フリーソウル、テクノ、ガレージパンクなどなどの分野で、さまざまな女の子たちが必死で「それっぽさ」を求めてきました。が、誰にも「シャンソン人形」の「揺らぎ」は再現できない。再現などできるはずはありません。技術の問題ではなく、それは「血」の問題だからです。

 僕の知る限り、「揺らぎ」の再現に唯一成功した人間が元ザ・ブリストルズのファビアンヌ・デルソル嬢なんですけど、この人は黒魔術に精通した魔女であり、すでに幼少期に悪魔に魂を売ったうえで「娘たちにかまわないで」を歌う資格を得たらしいので、なんの比較にもなりません。

 大人になって、「神の子」フランス・ギャルはもちろん、アストラッド・ジルベルト、クロディーヌ・ロンジェなどの「揺らぐ声」に魅了されるようになり、それからなんとなく聞き返した大場久美子の楽曲で、「やっぱり僕は本当にこの人のことが好きだったんだ」と再認識しました。

 大場久美子の歌といえば、中ヒット曲「スプリングサンバ」、あるいは小ヒット「エトセトラ」、もしくは「コメットさん」のテーマになった「キラキラ星あげる」あたりが有名ですが、僕の一押しはロッテのチョコレートのCMに使われた「大人になれば(*4)」。

 思いっきりメランコリックなイントロにつづく「♪大人になれば、チョコレート食べて、いろんなことを考えるものさ」という「少女の哲学」が恥ずかしく炸裂するアレです。
 赤面してしまうような幼児性のなかにヒヤリする冷たさがあって、「いつか私はこんな大人になるんだ」という少女の甘い夢のなかにしかいない「大人」のイメージを、夢見がちに、なおかつ悲しく突きつけてきます。
 「チョコレートを食べながらいろいろなことを考える大人」という、いかにも70年代的な少女の夢(カフェでジャズを聞きつつサルトルを読む、みたいな60年代の価値観がまだうっすら残っている感じ)は、あまりにも馬鹿馬鹿しくはかないからこそ、結局、永久に美しいまま「少女の夢」として凍結します。もはや、誰にも手を出すことはできない完全無欠の幻想。ポップスとは、こういうものだと思います。


(2009.2.14)


大場久美子 / 大場久美子 【CD】


「大人になれば」

作詩:浜口庫之助 作曲:浜口庫之助

大人になれば チョコレートたべて
いろんな事を考えるものさ
夢とはなんでしょう?
恋とはなんでしょう?
甘くて苦い味のものかな?

ララララララ ちょっと待って
青い空に 飛んでいって
恋の味を そっと そっと
聞いてみよう
*repeat

見わたす限り  空と波との
青い海原にひとり船うかべ
チョコレートひとつ 口にふくんで
淡い面影 胸に抱きしめ

ララララララ きっと きっと
思い出も もっと もっと
この胸に そっと そっと
聞いてみよう
*repeat



*

(*1)1978年発売の1stアルバム『春のささやき』。「スプリングサンバ」「エトセトラ」「大人になれば」などの有名曲は未収録ですが、「曲間ナレーション入り」のカルト感で人気

(*2)1978年。ちなみに、大場久美子デビューは77年。

(*3)大場久美子&榊原郁恵のコンビで印象的なのは、安手のコメディドラマ『少女探偵スーパーW』。宇宙人のプンチ(榊原郁恵)と刑事の娘ポンチ(大場久美子)がコンビで事件を解決する、というもの。ほとんどコントみたいなセットで物語が展開されていた記憶がある。

(*4)「若者たち」の「アフタースキー」のひとときを描く「サンモリッツ速達便」も傑作。
 サンモリッツはスイスの高級リゾート地。この楽曲、どういう経緯で作られたのか知らないけど、なにかのタイアップ? 当時のウィンタースポーツの大会かなにかにかこつけてリリースされたような気もする。
 暖炉の炎と誰かが引くギターの音、窓の外には夕闇迫る銀世界……みたいな70年代ならではのロマンチックかつセンチメンタルなイメージは、フランシス・レイの音楽で彩られた『白い恋人たち』に、当時の浮世離れした甘い甘い少女マンガをたっぷりとミックスしたような感じ。テクノ歌謡、ヒップホップ歌謡という言葉があるけど、僕はこの楽曲を「ラウンジ歌謡」と呼びたい。

(番外情報)大場久美子の「レイア姫事件」
1983年、「水曜ロードショー」で『スターウォーズ』が放映された。レイア姫の声を担当したのは大場久美子。「デキの悪い小学生がただたどしく国語の教科書を読んでいる」的な仕上がりに視聴者は驚愕。翌日の教室はこの話題でもちきりだった。



ちょっと不鮮明だけど、「コメットさん」ビーチボール。この時代は女児玩具のキャラとしても大活躍。



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