初見健一のweb site * 東京レトロスペクティブ



喫茶室ルノアールのマッチ
「消えゆく『停滞』の場」




 街から喫茶店が消えていく。
 代わりに増えているのがカフェ……であるとよく言われていますが、実際、「ああ、カフェだなぁ」と感じられるカフェは少ないと思います。

 カフェ文化はすこぶるヨーロッパ的なもので、アメリカのライフスタイルとは折り合いが悪い……ような気がします。
 ヨーロッパのカフェはアメリカに輸入された時点で資本主義的に洗練・合理化され、そのアメリカナイズされたシアトル系カフェ(多忙な企業戦士たちが素早くカフェインを摂取できる人間ガソリンスタンド的なシステム)が、昨今の日本で急増している「いわゆるカフェ」。つまりはフランチャイズ経営による「コンビニ化された喫茶店」。

 スタッフの労力(つまり人件費)が最低限に抑えられるように工夫された(企業側にとって)合理的なサービスシステムと、客の回転率を上げるための「なんとなく長居不可能」な店内構造。そして、あくまで安価なメニュー。
 で、こうしたものを「これがオシャレということになってます」という形で強引にパッケージしてしまう、画一的で、実はかなり貧乏くさいインテリア。

 次から次へと客が流れていくようにコンセプトされたアメリカ資本主義的「カフェ」に対し、日本のいわゆる昭和型「喫茶店」は「停滞」、もしくは「淀み」の場だと思います。
 店主も客も店内の雰囲気も、なんだかドヨ〜ンとしている。ドヨ〜ンとするようにセッティングされている。一度足を踏み入れたら、誰もがドヨ〜ンとするほかない。

 長時間座っていられないカフェスツールなどではなく、店内の椅子はどれもフカフカ、というよりブヨブヨの薄汚れたソファー。腰を下ろしたとたん、なぜだかグッタリしてしまいます。
 流れてくるのはどうでもいいような有線のBGM、もしくはAMラジオ。パーシー・フェイスやポール・モーリアかなんかが聞こえてきたりすると、思考も完全停止してしまいます。
 ウインドウや棚にあるのは、ガラクタが吹きだまったような奇怪な調度品の数々。コケシ、ぬいぐるみ、貝殻細工、ポーズ人形、誰のだかわからないサイン色紙などなど。すべてが一様に薄汚れていて、まるで過去から打ち上げられた雑多な漂流物のよう。

 ここには効率やら回転率やらという概念はありません。時間も人も、すべてが停滞し、淀んでいる。が、本来、カフェとはこういう場所なのではないでしょうか?

 僕の子ども時代、ドヨ〜ンとした個人経営の喫茶店のなかにあって、「喫茶室ルノアール」や「談話室滝沢」などは、企業が経営する「ビジネスライク」な喫茶店というイメージでした。ある意味、フランチャイズの喫茶店という当時の「新勢力」だったのだと思います。
 が、周囲の環境変化によって、「新勢力」もいつの間にかドヨ〜ンな古典的喫茶店と化し、今では滝沢は消滅してしまい、ルノアールすら数を減らしています。

 街からドヨ〜ンが消えていく。「停滞の場」が消えていく。

 ずっと前から不思議だったのが、「名画シリーズ1」と銘打たれたあの「喫茶室ルノアール」のオフィシャルなマッチ。オーギュスト・ルノアールの作品をシリーズ化したもの……らしいんですが、覚えている限り、一種類しか目にしたことがないんです(右の写真は一つのマッチ箱の裏と表を撮影したもの)。
 ほかにバリエーションがあるの? あるなら全種コンプリートしたい、特に『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』のマッチがあったら欲しい! などと思って、3年ほど前、取材にかこつけてルノアールの本部に問い合わせてみました。なんとこれ、製造中止になっているそうです。

 現在、「ルノアール」でウェイトレさんに「火を貸してください」とお願いすると、店名入りの100円ライターをわたされてしまいます。ドヨ〜ン……。

(2009.1.25)




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