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サンリオ王国の誕 生

「ファンシーショップ」




 1970年代の後半、「ファンシーショップ」なる怪しくも恥ずかしい名称のお店が、突如として都内のあちこ ち(メッカはやはり原宿)に出現しました。

 「ファンシーショップ」という言葉が現在の若い世代にもきちんと伝わるのかどうかわかりませんので一応説明しておきますと、要するに主に女子をターゲッ トとした文具や雑貨、ちょっとしたアクセサリーなど、いわゆる「カワイイもの」を販売するお店です。……と聞いて今の代官山あたりの雑貨屋さんをイメージ されちゃうと困るんですけど。
 対象年齢はもっと下で、輸入雑貨ではなく国産のキャラクター雑貨が中心、アイドル関連グッズもあり、場所によってはヤンキー風味もちょっぴり加味……っ て感じなんですよね。
 このテイスト、説明がむずかしいな。今も郊外の商店街なんかで、たまぁにそれっぽい雰囲気を残す店を見かけることができるんですけど。

 70年代の子ども文化における「ファンシーショップ」の影響はかなり大きくて、主にポイントはふたつあったと思います。

 ひとつは「80年代的なものの出現」をまとめて見せてくれたこと。子どもに受けるプロダクトデザインの基本を変えてしまった、というか、もっと大きな言 い方をすれば、子どもたちの美意識を70年代型から80年代型に変えてしまった「ファンシー」という感触(ま、“カワイイ”に最大の価値をおく傾向、とい うことかな)、それをいちはやく、もっとも大衆的な形で提示してくれた。

 そのときはあまり意識しませんでしたが、80年代を通じてキッズカルチャーを支配していく「キッチリとした線で描かれる丸っこくてカワイイもの」的な感 じ(乱暴な言い方ですが)の萌芽を僕ら世代が最初に目にしたのは、70年代後半の「ファンシーショップ」の店先だったと思います。いわば、「大人ぶる」 「背伸びする」というのがカッコよかった70年代的なクール感から、「幼さをアピールする」「退行する」という成長拒否的なモードへのシフトがかいま見え た、ということになるでしょうか。

 もうひとつは、今ではそろそろみんなが食傷気味になりつつある「キャラクタービジネス」の本格的な稼働を象徴していた、ということ。当時は誰もキャラと いう単なる記号がこれほどまでの巨大市場を生みだすとは夢にも思っていなかったでしょうが(いや、そういう抜け目のない人がいっぱいいたからこうなったの か?)、従来の子どもの持ちものに描かれていた無記名的なイラスト(特に名前もなく、作者もブランドも示されていない単なるゾウさんとかワンちゃんとか) が一気にわきへ追いやられ、「コピーライトマーク」つきの版権ものが氾濫するきっかけの一端は、確かに急増した「ファンシーショップ」が担っていたと思い ます。

 で、当時、キャラといえばもちろんサンリオでした。

 小学校4、5年のころだから1977年前後、僕が育った恵比寿にも「ファンシーショップ」がオープンしました。駅からほど近い山下公園向かいに山下市場 というマーケットがありまして、これはスーパーじゃなくていわゆる市場。魚屋とか乾物屋とかお菓子屋とか、小さな個人商店を大きな建物にギュッと押し込ん だような施設です。今も一応は健在なのですが、商店はほぼすべて撤退し、「屋台村」とかいうフザけた似非レトロ飲み屋モールになってます。
 この山下市場内に、いきなり「ファンシーショップ」が出現したんです。今から考えると魚屋、肉屋の並びに「ファンシーショップ」ってどうなのか?って思 いますけど、当時は別に違和感もありませんでした。
 このショップの店名が「ナウ」! 青ざめてしまう響きですけど、これも当時は違和感ないどころか、マジで「あ、なんかオシャレ」って思っちゃうような力 を持っていたんですよね。ベタだな、とさえ思わなかったので、「ナウ」が流行語として普及する直前だったんだと思います。

 この「ナウ」って店、ほぼ90%サンリオショップでした。店内のほとんどをサンリオの文具と雑貨が占領して、残りにちょこっと他社商品あるっていう感 じ。現在のそれっぽいお店と違うのは、客の大半は子どもで、さらに、男子もけっこう頻繁に出入りしてたこと。さすがに「キティちゃん」の缶ペンケースなん かは買いませんでしたが、当時のファンシー文具は単純に「オシャレ」「新しい」というイメージだったので、カッコつけたい年頃の男の子も注目してたんです よね。僕も通ったクチです。
 あと、よく利用したのがオリジナル缶バッジ製造サービス。雑誌などから切り抜いた写真を持っていくと、それを機械でガッチャンとプレスして、缶バッジに 加工してくれるっていうもの。各地の「ファンシーショップ」では定番のサービスでした。キッスとか、ベイシティローラーズとか、大場久美子のバッジをつ くってもらったのを覚えてる。
 そう、あと女子から誕生日会にお呼ばれしたとき、「ナウ」は本当に便利でした。女子へのプレゼントは全部「ナウ」。ここで買っときゃ間違いない、って感 じ。クラスメイトのキリちゃんの誕生日に「ナウ」で買ったレモンの香水をあげて、彼女がレモン臭プンプンで登校して職員室に呼び出されちゃって、なぜか僕 までが先生に怒られた、なんて事件もあった。

 現在、サンリオといえばやっぱり「キティちゃん」ということになるのでしょうが、当時、周囲での一番人気は「パティ&ジミー」でした。これはわりとユニ セックスなキャラデザインなので、僕もいくつかグッズを持っていた記憶があります。次に人気があったのはキキララ、「リトル・ツイン・スターズ」ですね。 これも持ってたなぁ。中学生になってから、通っていた塾の女の子から誕生日に「キキララ」人形つきのレターケースみたいなものをもらったのも覚えている。 女子が男子にサンリオ系の雑貨をプレゼントするって、今はちょっと考えられないけど、当時は周囲で普通に行われてました。
 「いちご新聞」を読んでる男子は多かったし、そう、あとサンリオが発行していた少女マンガ雑誌「リリカ」に連載されていた手塚治虫の『ユニコ』は、男子 にも絶大な人気を誇ってた。

 当時のサンリオって、今ほど女子限定っていうイメージじゃなかったのかなぁ? いや、サンリオはやっぱり当時からガーリーだったけど、「ガーリーなもの を男子が持つ」ってことに「新しいオシャレ感」があった、ってことなのか? っていうか、単にウチの学校の男子がたまたまガーリー趣味だったとか? その あたりの微妙な価値観、いまいち正確に思い出せません。「男子から見たサンリオ史」みたない研究、誰かやってくれないかな?


(2010.3.6)



70年代のサンリオ・オールスターズ。パティ&ジミーのローラースケートとかも懐かしい。インラインスケート 以前、靴にくくりつけるタイプです




パティ&ジミー。サンバイザーとデニムのオーバーオール、スニーカー、ボーダーシャツなどなど、当時のいろい ろな価値観・美意識を象徴する各種アイテムがシンプルかつ効率的に詰め込まれている秀逸なキャラ




リトルツインスターズ。通称キキララ。70年代的なクールネスを持っていたパティ&ジミーに比べ、幼稚園のお 遊戯会的なスタイルで80年代的ファンシー感を全面に押し出したキャラでした







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