70年代の小学生カルチャー(ただし男子限定)のなかで、もっとも大きなブームのひとつといえるのがスーパーカーブーム。同世代ならもはや説明不要ですね。
ものの本によれば、1973年あたりから1978年くらいまでがブーム期にあたるようですが、個人的には僕が小4のころ、1977年前後がピークだった、
という印象があります。小学生的には池沢さとしのマンガ『サーキットの狼』(1975年から『少年ジャンプ』に連載開始)の影響が大きかったはず。
僕の周囲で最初にブームの火をつけたのは、駄菓子屋さんの「スパーカーカード」の登場。アマダというメーカーが
製造したもので、それ以前からあった「怪獣カード」のシステムを踏襲したもの。中身の見えない紙袋に入ったカードを1枚、ピッと引き抜くタイプでした。ア
タリが出るとアルバムがもらえて、クラスのツワモノはパンパンにふくれあがったアルバムを何冊も持ってた。
「コカ・コーラ」の王冠にスーパーカーイラストがついたこともありましたね。これもみんなアツくなってた。王冠の裏にゴムのカバーがかぶせてあって、ツマ
ミをひっぱってめくると車のイラストが描かれている、というヤツ。クッキーの缶なんかにゴッソリとコレクションする子が続出しました(同じ形式で「スター
ウォーズ」イラストつき王冠なんてのもあった)。
子ども用の「スーパーカー入門」的な本も続々刊行。ほとんど立方体に近いようなブ厚いケイブンシャ大百科シリーズなんかが記憶に残っています。これも従来の「怪獣大百科」のノリでした。
テレビももちろん便乗。東京12チャンネルが『対決!スーパーカークイズ』なんつー番組を放映し(司会は『笑点』座布団配りの山田くんだったっけ?)、エ
ンジン音を聞いただけで車種を言い当てる不気味なガキが毎週登場していました。そういえば、スーパーカーのエンジン音だけを集めたレコードなんかも販売さ
れてたなぁ……
で、グッズ類のきわめつけはやっぱり「スーパーカー消しゴム」。
20円ガチャガチャでランダムにゲットできるスーパーカー型消しゴムです。三菱鉛筆製「BOXY」シャープペンシルのノック機構で、パシン!と飛ばして
レースをする。誰がやりはじめたのかは知りませんが、全国規模の大ブームになりました。「ホッチキス刺し」「セメダイン塗り」「シンナー漬け」なんていう
独自チューンナップも全国共通だったようです。
で、もはやグッズじゃものたらないって子たちは、晴海で開催される「スーパーカーショー」に出かけて実車を見る。このイベント、なぜかサンスターの主催な
んですよね。スーパーカーを撮影するために、お子ちゃまには不相応な高級一眼レフなんかも流行っちゃって(これは後のブルートレインブームでも同じことが
起こる)、望遠つきの「OM1」とかを首からさげてるヤツもいたりして。
実を言えば僕、男子のくせに乗りもの関連の話題に無関心で、小さなころからトミカやプラレールを欲しがったこと
すら皆無。なので、ブームの初期のころはいまひとつスーパーカーなるものにアツくなれませんでした。だいたい、車の名前が覚えられない。「カウンタック」
は羽があるほうが「LP500」、ないのが「LP400」……ってのを暗記するのが限界。「マセラティー・ボラ」なんて、ずっと「マツダ・ピーポーラ」と
いう国産車なんだと本気で思ってましたから。が、とにかく周囲は盛りあがりまくっているんで、ノリに流される形でハマったフリをしていました。
いまだに忘れられないんですけど、ブームまっさかりのある日、道徳の授業で教育テレビを見せられたことがあったんですね。年代から言うと『明るいなかま』
だったのか、とにかくありがちなドラマ。で、その日のエピソードがスーパーカーの写真をめぐる話だったんです。内容は覚えていないけど、誰かのスーパー
カーの写真がなくなっちゃうとか、そういうトラブル系のストーリーでした。
で、画面にスーパーカーの写真がドンとアップになるカットがあって、そのとき、僕はとっさに「あ! 『ランボルギニー・イオタ』だっ!」とかなんとか叫
んじゃったんです。とたんにクラス中の男子から「違うよ! あれは『ミウラ』だよ!」と訂正の嵐。もっのすっごく恥ずかしくて冷や汗が出たのを覚えていま
す。
いいじゃないか、どこが違うんだよ? なんだよ、「ミウラ」って。変な名前! 三浦? 国産車?
(2009.12.13) |