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トーテムポール

「日常に点在した“非日常”」





 僕は小さなころからトーテムポールが大好きで、現在も家 に小型トーテムポールをいくつか設置して客人をドンビキさせたりしてるんですけども、かつては街のあちこちで、というのは大げさだとしても、主に“コド モ”に関連するスポットでは、必ずといっていいほどトーテムポールを見かけることができました。校庭、児童公園、遊園地、動物園、観光施設などなど、“コ ドモまわり”にはなぜかトーテムポールがあったんです。


 僕が通っていた小学校でも、校庭のスミの方に卒業生が製作した不気味なトーテムポールが立っていましたし(70年代なかばあたりまでは、学校の集団卒業 製作の定番だったようです)、やたら印象的だったのは、東京近郊の遠足スポットの定番「こどものくに」(神奈川県にある広大な公園)に「トーテムポール広 場」なるものがあって、一定エリアにさまざまなデザインのものが乱立していました(今もあるのかな?)。ドリームランド、サマーランドにもあったし、バナ ナワニ園などの観光施設などでは、あの写真撮影用の顔出しパネルなどとセットのように、記念写真用(?)トーテムポールが設置されていた記憶があります。



 現在はかなりの数が撤去されているようですし、新しくつくられた施設にわざわざトーテムポールを設置することはまずないし、小学校でも「卒業制作にトーテムポール」という風習はすたれているので、絶対数は確実に減少していて、目にする機会も減っています。



 問題は、なんで昭和の一時期、あれほどトーテムポールがブームに、とは言わないまでも、定番の“エクステリア”として多用されたのか?
 以前、これについていろいろ調べたんですけど、トーテムポールに関する書物って民族学系の、それこそ“本場”の“本物”のトーテムポールに関するものば かりで、「なんちゃってコピー」的に日本などへ普及したものについては、いっさい言及されていないんですよね。僕的にはこの際、レヴィ・ストロース的な考 察はどうでもよくて、高度成長期の日本の日常に“異物”として大量混入されていた“非日常”としてのトーテムポールに興味があるんですけど。



 で、しょうがないので、自分なりに考察してみました。



 ひとつ言えるのは、日本におけるトーテムポール増殖の直接の原因は、間違い
なく大阪万博です。間違いなく、というのは、少なくともその要因のひとつとして、ということですが。
 1970年の大阪万博によって、日本にはある種のエキゾチックブームのようなものが起こりました。万博開催時、世界各国の民族衣装を着た万博公認の人形 「ジャルパックドール」が大ヒットしましたが、このとき、「先進国」としての日本は、他民族、特に「未開の国」もしくは「未知の国」に、ほとんど荒唐無稽 な憧れを抱いたようで、民族衣装的なファッション(これはサイケデリックを経由した傾向)や、アフリカやインドネシアから輸入した装飾的インテリア(もし くは、それっぽいだけのコピー商品)が流行しました(アフリカの仮面とか、ニューギニアの木彫りの神様人形とか、家にひとつやふたつはありませんでし た?)。こういうもののひとつとして、トーテムポールも注目を浴びたわけです。
 当時は特に「他民族の文化を学ぶ」という意味から「トーテムポール=教育的」と目されていたフシがあって、小学校の図工の授業の題材として多く取りあげられました。卒業制作のトーテムポールもこの流れにあったようです。



 これは別に国際意識の高まりといったことではなく、トーテムポールのメッカであるカナダも、ネイティブアメリカンの領土としてのアメリカも、アフリカ も、バリも、インドも、おそらくあまり区別がついていなかったようで、とにかく「異国っぽい」ものならなんでもいい、というブームだったようです。
 こうした傾向は日本に限ったことではなく、ある時期までは(メディアの急速な発達以前、外国がまだまだ“外国”だった時代まで)、フランスでもアメリカ でも、万博が開催された地では、必ずこのような「イメージとしての未開の地」ブームが起きたようです。この「感じ」をもっとも象徴的に表現しているのが、 ディズニーランドの民族の祭典的なアトラクション「It's a Small World」だと思うのですが、これももともとは1964年のニューヨーク万博の出しものでした(コンセプトの構築にはユニセフも関わっています)。
 万博が開催されると、あらためて「この世界にはいろんな民族がいるんだな、おもしろいな、細かいことはよくわからないけど!」みたいな感動(?)に誰もが打たれる、ということだと思います。



 そして、もうひとつ。
 1959年、ハワイがアメリカの50番目の州として登録されたことによって、全米にハワイブーム、いわゆる「チキチキブーム」が起こります。これも一種 荒唐無稽な「異国っぽいイメージ」ブームで、ハワイっぽいもの、南国っぽいものがなんでもかんでも大流行しました。特にインテリアとして普及したのが、ハ ワイの神様「チキ」の木彫り人形です。
 この現象は単なるハワイブームにとどまらず、やはり「未開っぽけりゃなんでもいいんだ」ってことで、漠然としたエキゾチックブームへと拡大していき、ハワイとはなんの関係もない北米のトーテムポールまでが、インテリアのひとつとしてひっぱりだされたりしたようです。
 アメリカにおけるハワイ(および“未開”の地全般)ブームの不可思議さについては、マーティン・デニーなど、モンド系のイージーリスニング音楽、もしく は60年代前半ごろに量産された正気の沙汰とは思えない「ハワイ映画」の数々(ハワイの火山を鎮めるために生贄にされた白人女性を白人男性が救出する、な ど)に触れれば理解できると思います。「異国」を理解する気はさらさらなくて、ただ「異国」にまつわる妄想を楽しみたい、といった狂気にも似た感覚の暴 走。ステキです。



 同じようなエキゾチックブームは、なんと1969年のアポロ月面着陸のときにも起こっているようで、要するにアメリカ人にとっては、月も、ハワイも、ア フリカも、そして当時の日本も、「遠い場所=理解不能=おもしろい」だったんですね。60年代のハリウッド映画に日本が登場するときの独特の「ストレンジ 感」、あれもこのあたりから来ているわけです。
 それにしても「帝国主義的な勘違い」って、遠く宇宙を越えて月にまで及ぶんだから、スゴイもんです。もし月に「先住民族」がいたとしたら、なんの躊躇もなく「スターウォーズ」状態に突入していたんでしょう。コワイです。



 このアメリカのハワイブーム、「異国っぽいイメージ」ブームは、すぐに日本にも波及したようで、これは確証がないんですけど、万博以前に日本に(装飾品 としての)トーテムポールが登場していたとすれば、この時期に初上陸したんじゃないのかなぁ、と思います。このあたり、資料がまったく見つかりません。せ めて国内に最初に設置されたトーテムポールが特定できたりすると、けっこうおもしろいことになると思うんですけど……



 こういう漠然としたブームは、ほとんど研究されず、なにがなんだかわからないまま形跡が消えてしまって、後から「あれってなんだったんだろう?」となり がちなんですよね。日本におけるトーテムポールも、すでにそのような状態に陥っています。どなかたか、暇でお金のある方が『日本のトーテムポール史』みた いなアホな本をつくってくれないでしょうか? 周囲からはすごくバカにされると思いますけど。


(2010.11.19)

1970年代初頭、「ケロッグ」はトーテムポールのフィギュアをおまけとして採用しました。これは当時の箱裏に記されていた「トーテムポールってなあに?」という解説文。文末の「おもしろいね。」の無責任感がステキ


これが「ケロッグ」のおまけのトーテムポール。僕がトーテムポール好きになった最大の要因。お菓子のおまけ史上、もっとも魅力的なアイテムだと思います。生まれて初めて「集めたい!」と思ったおまけでした

*ケロッグのおまけに関してはこちらもどうぞ



目黒区某児童公園内のすみに今も佇むトーテムポール



1950年代後半、米国におけるハワイブームでインテリア化されたハワイの神様「チキ」像。日本にも普及しましたよね

  
 高いなぁ……



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