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つくばエキスポセンターに行ってきました。 この施設は1985年(3/17〜9/16)に茨城県のつくば市で開催された国際科学技術博覧会(通称つくば万博/科学万博/つくば'85)の会場跡地に造られたいわゆる「科学技術館」です。 基本的には子どもたち向けの科学教育施設ですが、85年の科学万博に関するさまざまな記録を展示した「メモリアルコーナー」もあり、僕の目的はもちろんその展示物の数々。 85年当時、僕が通っていた高校では「つくば万博見学ツアー」みたいなものを開催し、全生徒が強制的に参加させられました。 で、どうもあんまりいい思い出がないんですよね(笑)。もちろん「つくばエクスプレス」なんてものはないころ。バスを連ねて行ったんですが、やたらと時間 がかかった記憶があります。で、なにやら山々を切り開いて無理やり造成したような「荒野」みたいなところに到着し、広大な空き地にズラーッと並んだプレハ ブ小屋に一泊させられました。 つくば市がまだ「筑波郡谷田部町」とか呼ばれていた時代で、会場周辺は本当になんにもない。宿泊施設もない場所に 全国から万博目当ての客が集まってくるわけですから、こういう簡易宿泊所というか、ほとんど「避難所」のようなプレハブ村を急ごしらえでつくっていたよう です。みんな「ひどいな、こりゃ」とブーブー文句を言ってたのを覚えています。 で、肝心の会場については……ほとんど何も覚えていません。 そもそも僕は最初から「なんで万博なんかに行かなきゃなんねーだんよ、馬鹿野郎」みたいな態度だったので、まともにパビリオンを見学してなかったんだと思います。数人の友だちと会場のどこかで昼寝でもしてたんじゃないかなぁ? とにかく暑かったこと、どこもかしこも混雑していたことしか覚えていません。 唯一ぼんやりと覚えているのは、どこかのパビリオンで「赤血球がどうのこうの」という内容の3D映像を巨大スクリーンで見たこと。で、BGMは坂本龍一だった……という記憶なのですが、どうもこれもあやふやです。 調べてみると東芝、住友、日立などが3D映像のパビリオンを出展していたようですが、赤血球ネタではなかったらしい。坂本龍一が絡んでいたのは住友館だったらしいので、これと別のなにかの記憶がごっちゃになってるのかな? この30年前の頼りない体験について、エキスポセンターの「メモリアルコーナー」に行けばなにか思い出すかも……と思っていたのですが、やはりあんまり記憶は蘇ってきませんでした。 展示物を眺めていて、確かにある種の懐かしさというか、80年代的ファンシー感と勘違いのデジタル志向がないまぜとなったポップでユルい当時の雰囲気が思 い出され、「ああ、こんな感じだったな」というのはあるんですけど、それ以上に、「やっぱりこの時代ってつまんないなぁ」というミもフタもない感想を持っ てしまいました。それは、あの頃を生きていたリアルタイムの自分が「今ってつまんないよなぁ」と思っていた、その感慨とまったく変わりません。時が経過し ても、やっぱりこの時代の「感じ」は、どうもあまり好きになれない…… 別項で大阪万博記念館について書きましたが、世代的に見ることの できなかった大阪万博の方が、実際にリアルタイムで見てきたつくば博より、はるかに懐かしいんですよね。それはつまり、大阪万博が僕の子ども時代のカル チャーの諸相に多大な影響を残していて、「科学」を軸にした男の子文化のすべての源泉になっていたからだと思います。それに対して、つくば博の「価値 観」って、おそらく以降の時代になんの影響も残していないように思えます……っていうか、そもそも「価値観」なんてないイベントだったんじゃないのか? 僕の感覚では、80年代は非常に特異な時代で、この時期に文化のある部分が急速に劣化した……という印象を持っています。文化全体が地盤沈下を起こし た……なんてことは思っていませんが(ある部分は異常なほど活性化しましたし)、少なくとも「商品」の「デザイン」の面においては明らかにガクンと落ち た。これってたぶん「商業デザイン」の分野の仕事をいわゆる「アーティスト」に外注する習慣がすたれて、ほぼ社内で決めていくようなプロセスにシフトした から……ということが影響しているんじゃないかなと思うんですけど、まぁ、この話はちょっと長くなりそうなので別の機会に考察しましょう。 ともかく、この「デザイン」の面で、つくば博はあまりに凡庸なんですよね。大阪万博に比べると、もう絶望的に劣化している。ロゴやマーク、星丸などのキャ ラ(和田誠がタッチしてるはずなのに!)、パビリオンなどの建築、コンパニオンの制服……どれもこれも、もうなにもかもがつまらないし、今見ると(いや、 当時もそうだったんですが)単にダサい。 さらに問題なのは、肝心の「科学」が、すでにここにはないこと。企業の業績のための「テクノロジー」はあるけど、もう「科学の夢」は85年の段階で完全に潰え去っている……。 ここにあるのはポップでファンシーな80年代カルチャーの「残骸」でしかなく、そこで感じられるのは、ビンテージのサンリオ商品を目にしたときと同等の懐かしさでしかありません。 大阪万博ってのは、やっぱり時代的にも特別な「祭典」だったのでしょう。あれは「科学」の「ロマン」を軸にした「敗戦国」の「文化的特攻」だったのだと思 います。そこにはもちろん「国策」といった感じの嫌な匂いがプンプン漂いますが、しかし、なにかわけのわからないパワーが渦巻いていて、それが「科学」を 超えた「空想科学」の夢までをも引き寄せ、巨大で奇形的な「芸術運動」のような様相を呈していました。 つくば博には、「ロマン」としての「科 学」も、もちろん「アート」も、ごっそりと抜け落ちています。じゃあ、なにが残っているのかというと……やはり「消費」だけだったんだなぁ……とシミジミ と痛感しました。「消費」だけ、というのはつまり、「カラッポ」ということでしょう。 つくば博の翌年、日本はバブルの時代に突入しました。 (2016.5.24) | エキスポセンター外観 メモリアルコーナー。当時のグッズが展示されています このあたありを復刻して売ってほしい 当時配布された3Dメガネ。僕もこれをかけたのかな? おなじみのコスモ星丸。公募で子どもたちから基本デザインを募り、 それに和田誠氏が手を加えたらしい コスモ星丸、ピンクバージョン 定番のメダル刻印機もありました。表面はメインキャラの「つく丸」。 こっちがメインで、実は星丸はサブなんですね おみやげコーナーでは星丸グッズも売ってましたが、バッヂとお菓子中心で いまいち……。フィギュアというか、立体の星丸を売ってほしい! 一応「フワ焼きスイーツ」ってのを購入してみましたが、 いたって普通の焼き菓子でした |
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