バレンタイデーに女子が男子にチョコレートを贈るという風
習は日本独自のものだそうですが、これが日本に定着したのは1930年代(モロゾフがひろめた説)、もしくは50年代(メリーチョコレートがひろめた説)
だといわれています。
特に根拠はありませんけど、30年代に神戸を中心に西側の一部でモロゾフが風習をひろめ、一方、東京ではメリーチョコレートが大々的なキャンペーンを
行って、本格的に習慣化したんじゃないのかなぁ……と思います。
日本にバレンタインデーという風習が持ち込まれた年代はと
もかくとして、この風習がそれぞれの人の「人生」に持ち込まれるのは、だいたい小学校の高学年くらいになると思います。
現代っ子たちの事情はよくわかりませんが、昭和の時代、テレビアニメなどでもネタにされることが多かったので、小さな子どもたちも2月14日がバレンタ
インデーであることは知っていました。が、小1や小2では、まずクラスでチョコのやりとりが見られることはありません。そのころの僕などは、「あれはテレ
ビのなかだけのできごとなのかな?」なんて思っていました。ちょうど、「エイプリルフールにだまされてヒドイめにあう」なんてことが、現実にはあまりない
のと同じように。
なんとなくみんながソワソワと、ことさら2月14日を意識
しはじめるのが3年生くらい。で、4年生になると「誰かが誰かにチョコを送ったらしい」というウワサ(ほとんど「誰かが幽霊を見たらしい」と同じようなレ
ベル)が飛びかったりしはじめ、5年生では実際に自分が当事者になってしまったり、あるいは当事者から「もらったチョコを見せてもらう」(悲惨極まりな
い!)みたいな事態が勃発しはじめます。
僕がはじめてバレンタインチョコをもらったのは小学校4年
生のときなんですけど、それはなんていうか、ある爆発事故の「余波」でもらうことになった、という感じでした。
その年の2月14日、男子たちはみんながソワソワとしつつ、しかし気にしないふりをして過ごしたものの、何ごともないまま6時間目が終わってしまったん
です。クラスにひとり、ちょっと暴君じみた男子がいたんですが、その子が急に腹を立てたらしく、下校直前に席を立って「このクラスの女子はおかしいっ!」
なんて演説をやりはじめたんです。
「外国ではバレンタインは季節の行事だ。ぜんぜんいやらしいことじゃない! 親しい人にチョコを贈るのは当然のことだ。それを恥ずかしがってやらないヤツ
らがいやらしいんだ!」
なんだかよくわからない理論ですが、とにかく暴君ですので、女子たちはシ〜ンとして聞いてました。
で、翌日、一気に「バレンタインチョコのインフレ」が起こ
りました。2月15日なのに。
昨日の「困ったちゃん」のアホな演説のせいで、「とにかく女子は誰かにひとつ以上のチョコをあげよう」みたいなことになったらしくて、そういう「流れ
弾」みたいなのが僕のところにもいくつか飛んできました。
非常に複雑な気分になりましたね。こういう形でチョコをもらってもうれしくないなぁ…というのもあったし、あと、当然、普段から仲のよい子たちがくれる
わけですが、小4のころって男子と女子の精神年齢差がめいっぱい開くんですよね。で、チョコに手紙を付けてくれたりする子がいると、その手紙の内容があま
りに複雑怪奇で、さっぱりわからなかったりする。「これ、どういう意味?」とは聞けないし、親しい女の子たちが急に大人っぽく見えたりして、ちょっと「不
気味」な感じさえしたことを覚えています。
その「バレンタインチョコのインフレ」時に教室を大量に飛
びかったのが、ご存じ不二家「ハートチョコレート」。これ以降も中学時代の3年間を通じて、「義理チョコ」の代名詞として女の子たちが便利に使いこしてい
くことになる定番商品です。
僕らの時代、中学生になると本命チョコは手づくり(っていうか既製品溶解→再形成)が定番化して、いびつなハート型チョコにジンタン(みたいなもの)で
「LOVE」とか、あるいは相手の名前を書く、というのが本命チョコの王道でした。で、対「その他大勢」向けの「義理」は常に不二家の「ハートチョコ」。
ザコを追い払う「くノ一」の「手裏剣」みたいなものです。
かつては季節を問わずにスーパーなどで売られていた「ハー
トチョコ」ですが、今も「バレンタイデー時期の限定商品」として健在。小中学生時代は「腹立たしいほどつまらないチョコ」の代表でしたが、現在は懐かしさ
はもちろん、ある種のレア感も追加されて、店頭で見つけると「あ!」と叫んでしまうほどに「いいもの」に見えちゃいます。
(2010.4.11)
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