2009年末日をもって、かのウェンディーズは日本から撤退しました。
オトナになってからはたまぁ〜にしか利用しませんでしたが、中学生時代、ウェンディーズ初上陸当初にはよく通ったし、ある意味ではマクドナルド以上にカルチャーショックを受けたりしたので、やっぱりなんだか感慨深い……。
アメリカ本国での創業は1969年。日本進出は1981年で、第1号店はマック同様、銀座だったそうです。当時はダイエーがやってたんですよね(撤退時は「すき家」のゼンショー)。それから青山、六本木など、まぁ、俗に「ハイソな」と言われてしまうエリアに出店。
そういや、あれだな、青山とか六本木がおおっぴらに「ハイソ」扱いされだしたのも、このころだよね。デザイナーとかエディターがこぞって事務所を構えたり。もともとは単に「なんか外人が多い」という地域でしかないんだけども。
僕が育った恵比寿駅前にウェンディーズができたのもそのころでした。
これ、あんまり語ってる人いないけど、あの場所ね、その前はマクドナルドだったんです。いや、ウソじゃなくて。70年代後半にできたマック恵比寿店が見事につぶれて、そのテナントにウェンディーズが入ったの。
当時の恵比寿って、ホント、「エアポケット」とか呼ばれてて、渋谷、代官山、広尾に接している「過疎地」だった。とにかく商売にはむかない町って言われ
ていて、地元民は「あの事前調査を完璧にやって出店するマックさえつぶれるんだから、恵比寿は本当にダメなんだな」なんて自嘲してましたヨ。ま、ガーデン
プレイスができて以降の「地方都市」っぽい恵比寿より、よっぽど「東京」っぽくてマシだったけど。
で、僕らはウェンディーズなる未知のバーガーチェーンが恵比寿に進出してきたことを、新聞の折り込み広告で知っ
たんです。デーンとハンバーガーの写真が掲載されたチラシで、バンズやパテなど、ひとつひとつのパーツをていねいに解説する「スペック紹介」みたいな内容
だった。
そして、僕たちをもっとも驚かせたのは、「トマトを抜いて」もしくは「ダブルにして」とか、「ピクルスとオニオンなしで」とか、オーダーを細かくカスタ
マイズできること。おぉ〜って思った。なんか、料理っぽい。っていうか、映画に出てくるアメリカのダイナーみたい。マックとはぜんぜん違うゾ……と。
で、さっそく友人たちと行きましたよ。で、なんか緊張しながら、別にトマトが嫌いじゃないのに、とりあえず「あ、あの、ト、ト、トマト抜きで」とかやりましたよ。
カントリー風味のインテリアや、あのケチャップがムニュルッと出てくるサーバー、チリビーンズなんていうサイドメニューも、すっごくアメリカーンな感じがしたなぁ。
当時、通っていた塾が近くにあって、中間期末前の集中学習時の晩御飯をよくみんなで食べてた。安さをウリにする以前のマックと比べても、ウェンディーズはけっこう割高で、中学生にはちとキツかった覚えがあります。でも、だからこそちょっとステイタスがあった。
そのころ、“B級”映画の神、ロバート・アルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』が公開されたんですよね。
売れない女子プロタッグがドサまわりする極上のロードムービーなんだけど、彼女たち、来る日も来る日も「ハンバーガーだけでしのぐ生活」を強いられてい
る。「うそ〜、今日もハンバーガーなの〜?」って感じで。食べる前にハンバーガーのバンズをめくって中身をわざわざ確認して、「オエッ!」なんてやったり
する。それをマネージャーのピーター・フォークがなだめる、「しょうがないだろ、金がないんだから。ここの店のハンバーガーはうまいんだぞ!」なんつっ
て。
このシーンに出てくるハンバーガー屋さんがウェンディーズなんです。これ見たとき、ショックだったなぁ。あの「高級」なウェンディーズが「低所得者御用達」ショップの象徴になってる〜っ!ってことに心底びっくらこきました。本国ではそういうもんなのかー、と。
国内営業の最終日である2009年の大みそか、実家に帰るついでに恵比寿店を見に行ってみました。そしたら、すっごい行列。さすがにあそこに並ぶのはイヤだなって思ったので、写真だけパチリ。
これで、あの赤毛の「ウェンディーちゃん」も見おさめか……と思ったけど、一度撤退して再上陸したバーガーキングの例もあるから、いつかまた会えるかもね。
翌日の元旦朝、車で前を取ったら、あらビックリ! すでにウェンディーズの看板はすべて撤去され、壁も窓も真っ
白な紙で覆われていました。なんだってそんなに急いで撤去する必要があるんだろう? 正月明けまでそのままにしておけばいいじゃん、と思ったけど、ま、い
ろいろあるんでしょうね。このドライな感じが新自由主義っぽさ?
(2010.1.7)
|