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山下公園(恵比寿東公園)/恵比寿
「最初の場所」

*関連トピック:山下公園(恵比寿東公園) その2




 実家から歩いて30秒、走って15秒のところに公園があります。
 僕が自分の足で、自分の意志で、初めて行った「場所」は、たぶんこの公園だと思います。

 正式名称は恵比寿東公園。この名称、この原稿を書くために調べてみるまで知りませんでした。
 この公園は昔からテレビドラマのロケで使われたりしているし(*1)、このあたりの「裏ランドマーク」として情報誌などにも紹介されたりしているので、恵比寿っ子以外にもそれなりに知られているようです。

 web上には、こんな感じで紹介されていました。

「渋谷川沿いにある細長い形をした公園で、戦災復興区画整理公園として整備されました。タコの形をした大きなすべり台が印象的であるため、地域では通称『タコ公園』と呼ばれ親しまれています。」(渋谷区オフィシャルページより)

 「戦災復興区画整理公園」という聞き慣れない言葉に少々ギョッとしてしまいます。「戦災を受けた都市の復興事業として、東京都が土地区画整理事業を行った際に造られた公園」という意味らしい。あの公園の来歴なんて、今まで一度も考えたことがありませんでした(*2)。

 「タコ公園」という通称は、小学校にあがってから出会った「広尾の子たち」がよく口にしていました。この公園周辺の僕ら「山下商店街の住人」、つまり「広尾の子たち」より少なからず野蛮な商店街のガキどもにとって、この公園は「山下公園」。
 「タコ公園」というマヌケな呼称に強烈な違和感を感じたのを覚えています。

「タコ公園は元々子供の間で広まった名前ですが、商店会も親しみのある名前にと『たこ公園商店会』という愛称とタ コのキャラを付けたのが11年前。以来公園でお祭を開催しています。地元だけで通じる名称には『えびっこ=恵比寿公園』というのもありますが、知っていた ら恵比寿通!」(某東京情報サイトより)

 僕の知る限り、この公園を「えびっこ」などと呼ぶ恵比寿っ子は皆無。
 「通」だとかなんだとかっていう価値観は、こんな感じの部外者によるイイ加減な情報の集積で成り立っていることが多いと思います。僕も「ホントの浅草ってのはさぁ」みたいなザレゴトを口にしないように気をつけなければ。

 山下商店街が「たこ公園商店街」を愛称に採用したのは本当で、残念ながら筆者の父親もこの取り決めに一枚噛んで いました。山下公園を「タコ公園」などと呼ぶ習慣は近隣の住人にはないのに、対外的にそんな名称をつけるなんて。できあがってきた「たこ公園商店街」のノ ボリを見て、その迎合的な感じが気持ち悪くてイヤでした。











 子供時代、常に ワーワーキャーキャーという歓声で満たされていた山下公園も、今はビルの谷間の底に沈んでひっそりと静まりかえっています。不法投棄されるゴミと、グラフ ティと呼ぶにはあまりに田舎臭い落書きが目立ち、全体に荒れ果てた感じ。ひさしぶりにぷらぷらと歩いてみたけど、なんだか落ち着かない。見たくないものを 見た、という感じ。

 家屋と同様、公園も主人である子供たちを失うと荒れてしまうようです。実際、周囲を取り囲む建築物のほとんどはオフィスビルで、ガーデンプレイスが完成して恵比寿全体が「ああなって」しまって以来、この街から子供の姿は消えました。

 街は、その街に住む人々が造るもの、というのが本来の自然なカタチだと思います。今の恵比寿は、「どこか遠くの方から来る人々」のためのテーマパークみたい。

 これは東京全体に言えることで、今の東京を造っているのは東京人の価値観ではなく、 「どこか遠くの方から来る人々」の「都市幻想」。「最先端な巨大な商業施設」が増えるたびに、東京は年々田舎臭くなっていきます。「どこか遠くの方から来 る人々」の「東京ってこうあるべき」を満たし続けなけれならないから。

 田舎者迎撃都市。東京は、東京で生まれ育った人たちのものではない。僕たちは排除さ れるべき「原住民」に過ぎず、生活さえ許されていない。なぜなら、「どこか遠くの方から来る人々」の「都市幻想」にとっては、都市で生まれて育った人々の 「生活臭」など、バグであり、ノイズであり、「汚れ」のようなものでしかないから。

 で、僕らとは違って、「田舎者」には帰るべき場所があります。とてもズルいと思います。

(2009.2.11)



*

(*1)覚えているのは坂上二郎主演の『夜明けの刑事』のロケ。公園前に屋台のおでん屋を出し、そこのオヤジに二 郎さんが聞き込みをする、というシーンの撮影を見学しました。同じ撮影だったか、別の回だったか忘れたましが、当時、子ども服屋さんをやっていた僕の実家 もロケに使われました。二郎さんが出産祝いの商品を物色しているシーンがほんの2秒(!)ほど放映されたのを覚えています。

(*2)「開園年月日」は昭和33年3月25日とあります。僕が生まれる9年前。ずっと昔から、僕の父や祖父が子供のころから、あの公園はあそこにあった、という印象があるので、この新しさ(?)も意外。




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